食事量の基準
2016年 04月 29日
ときに、このような悩みをお聞きすることがあります。
「周りの人のようにたくさん食べられない。自分の食べて良い量がわからないんです。」
食べ放題、ビュッフェ、バイキングにメガ盛り・・・
世間を見ればそんな言葉が並ぶこのご時世に、食べることを時に辛く感じる人が居ることをご存じでしょうか。
十人十色、性別も違えば身長・体重、体格と違って当然の様々な人が居る中で、食べる量はみんな同じである‥というのは「??」と思いませんか?
沢山の量を一気に食べても平気な人が目の前に居て、その人と同じように食べたいと思っても体が悲鳴を上げる人もいるのです。
同じように食べてしまうと、すぐお腹が痛くなって下したり、そのときは大丈夫でも夜中になって胃に痛みが来たり、翌日に胃もたれを感じたりと症状の出方も人それぞれですが。
十人十色、性別も違えば身長・体重、体格と違って当然の様々な人が居る中で、食べる量はみんな同じである‥というのは「??」と思いませんか?
沢山の量を一気に食べても平気な人が目の前に居て、その人と同じように食べたいと思っても体が悲鳴を上げる人もいるのです。
同じように食べてしまうと、すぐお腹が痛くなって下したり、そのときは大丈夫でも夜中になって胃に痛みが来たり、翌日に胃もたれを感じたりと症状の出方も人それぞれですが。
よく聞くお悩みとしては、見た目も華奢な女性で食べ放題やビュッフェに行ったりすることがあると、その時は大丈夫でも翌日が朝からしんどくて起き上がるのが辛くなってしまうということです。そんな日は家事や仕事に重い体で這うように一日を始めるそうです。
そんなに食べられないと思いはしながら、食べ過ぎてしまう一つの要因には「これ以上痩せてしまったらどうしよう。」という不安があるようです。
周りの人からも「もっと食べないと。」と言われると、そうよね‥と思い食べるんだけれど食べても太らない、けれど食べなければもっと痩せてしまうんじゃないか‥と自分にプレッシャーを感じてしまう。
そのお話を聞いていると、体へのダメージはもちろんだけれど、心のダメージも大きいんじゃないかと感じるところがありました。
自分の体への不安から「もっと食べないと。」と周りの人からいられる言葉自体をプレッシャーに感じてしまう。
けれど、「もっと食べないと。」と言葉を掛ける人は何の気なしに悪気なく言うのです。
自分の体への不安から「もっと食べないと。」と周りの人からいられる言葉自体をプレッシャーに感じてしまう。
けれど、「もっと食べないと。」と言葉を掛ける人は何の気なしに悪気なく言うのです。
世間でダイエットブームは変わらずあり続けるように、多くの人が"たくさん食べたら太る"と思っています。
こと、水を飲んでも太ると言う人も居ます。
食べたら太るという人は、体が食べ物を余分に摂取しても、脂肪として体が溜め込め続ける強さがあるんです。
体に余裕があるんですね。その余裕は人によって性格にもつながることもあり、「細かいことは気にしないー。」と大らかな性格の人もいらっしゃいます。
逆に痩せている人は、性格のことなので一概には言えませんが良いも悪いも受け止めてしまう人が多いように思います。
真っ向からそのまんま受け止めてしまうと、「もっと食べないと。」の言葉が、食べたいから食べるという欲を通り越して、太るための義務のような食事になってしまう。
真っ向からそのまんま受け止めてしまうと、「もっと食べないと。」の言葉が、食べたいから食べるという欲を通り越して、太るための義務のような食事になってしまう。
だから余計に自分でどれだけ食べて大丈夫なのか判断が効かなくなってしまう。
それで周りの人を基準にしてしまい、同じように食べようとして結果、内臓を更に痛めて弱らせてしまい、太るどころかまた痩せてしまう... という悪循環になります。
体に余分なものを取り込む力がないんです、無茶ができる余力がないんです。
それで周りの人を基準にしてしまい、同じように食べようとして結果、内臓を更に痛めて弱らせてしまい、太るどころかまた痩せてしまう... という悪循環になります。
体に余分なものを取り込む力がないんです、無茶ができる余力がないんです。
結果、ダメージを受ける自分の体に自信をどんどん無くしていってしまう。
そうなると悪気なく掛けられる「もっと食べないと。また痩せちゃうよ。」の言葉のプレッシャーは、更に重くなりどうしていいのか自ら迷宮入りしてしまうのかも知れません。
そうなると悪気なく掛けられる「もっと食べないと。また痩せちゃうよ。」の言葉のプレッシャーは、更に重くなりどうしていいのか自ら迷宮入りしてしまうのかも知れません。
知り合いの方のところにお呼ばれしたり、食事会に行くことがあると用意していただいたたくさんのご馳走に、そんなに食べられないと思いながら無理をしてしまうそうです。
けれど本当は食べる量はちゃんとおなかが知っているんです。
基準は栄養学や周りの人ではないんです。判断は、誰でもない自分のおなかに聞きましょう。
必要と思っているか、もう要らないと思っているのか。
すぐおなかが痛くなって下したり、夜中になって痛みが来たり、翌日に胃もたれを感じたりしたときはやっぱりおなかが苦しがっているサイン。
働きすぎて休みが欲しいのです。
食事のときに調整出来たら何よりだけれど、食べ過ぎてしまうこともある。そんなときは、翌日で調整するのも一つの方法です。
体が必要と思っていなければ無理に食べないで、おなかが空くまで待ってあげる。
誰よりも本人が一番解っていることだけれど、食べれないときほど、このままで私は大丈夫なんだろうかと不安を感じてしまわれると思います。
けれど、無茶はダメージとなり体に還ってきます。
用意してくれたご馳走を前に躊躇してしまう、せっかくの有り難い行為を自分自身が辛いと思ってしまうことに申し訳なさを感じるときもある。
嬉しいことなのに美味しいと食べられないこと、心配してくれている気持ちを、“責め”と感じてしまうこともある。
もし、周りにそんな方がいるなら、「痩せてるねー。もっと食べないと。」その言葉をかける前に、少しだけその人の気持ちに思いを向けてその人の表情を見てみて、希望を持てる声を伝えられたらと思うのです。
また私も…と思い当たる方は、作ってくれた人の好意に感謝を持って、勇気を出して自分のおなかの状態を伝えることが出来たらと思うのです。
もし、周りにそんな方がいるなら、「痩せてるねー。もっと食べないと。」その言葉をかける前に、少しだけその人の気持ちに思いを向けてその人の表情を見てみて、希望を持てる声を伝えられたらと思うのです。
また私も…と思い当たる方は、作ってくれた人の好意に感謝を持って、勇気を出して自分のおなかの状態を伝えることが出来たらと思うのです。
見るところはお互い様に体だけではなく、顔を合わせ言葉の奥の想いを感じられたら‥
人はみんな同じじゃないから、食事もやっぱり歩み寄りだと思うのです。
池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)※◆を@に変換して送信下さい。
by wago-ichi
| 2016-04-29 03:03
| 症例・内臓系