破壊は絶望??
2017年 03月 13日
先日封筒で届いたものがあります。
送り主は熊本市役所。
宛名には「わごいち様」と。
開けるとそこには、熊本城主証と瓦が弾け飛び、石がきが崩れ、瓦礫の中に立つ熊本城の今の姿をそのまま伝える冊子が入っていました。
一年前に起きた地震。
そして、すぐに皆さまの協力をお願いし、半年後に師匠がわごいちに集まった皆さまからのお気持ちを手に持って、熊本へと行かれました。
熊本市役所から届いた封筒の中身は、わごいちの入り口に置かせていただいています。
そこには、天災により一瞬で変わってしまった熊本城の姿に「無くした訳じゃない」と復興へ向かって立ち上がる熊本の人々の力強さがありました。。。
私たちは、あまりにも壊すことに恐怖を感じすぎるのかも知れない。
壊れてしまうことは全てを失うことと錯覚してしまうのかも知れない。
破壊を絶望と感じますか?
破壊を希望と感じますか?
我々の師は、破壊を絶望だとは全く感じていません。
積み上げては壊す。もうその姿を何度と見てきました。また、その積み上げが四角や丸の形をした積み木を、積んで壊すというような簡単さじゃないんです。
ジェンガという、その昔一世を風靡したおもちゃをご存知でしょうか。(※参考→ジェンガ)このジェンガのごとくいくつもの数あるパーツを、積み上げていくんです。何度も積み直し積み直し、「やっと形になったね。」と一息ついたあと・・・
ジェンガという、その昔一世を風靡したおもちゃをご存知でしょうか。(※参考→ジェンガ)このジェンガのごとくいくつもの数あるパーツを、積み上げていくんです。何度も積み直し積み直し、「やっと形になったね。」と一息ついたあと・・・
壊します。
「ちょっとここだけ崩して修正しよう」じゃありません。見事に破壊して、さら地にしてからもう一度積み上げます。弟子入りして間もない頃は、その師匠の行いに自分が否定されているような気がして、悲しく感じたこともありました。意見を求められても、手を出すことさえ躊躇してしまう、そんなときもありました。
でも、そうではないのです。
師匠にとって、破壊は絶望ではない。絶えるものではない、決して。
積み上げる力を自らに付けたのだから壊してさら地にしたって一度積み上げた事実はなくならない。その力を持ってより夢を実現に近づける…
そこに疑いがないのです。恐怖は一切ありません。あるのは希望、夢、楽しさ、未来。
だから、躊躇なく壊せる。
この熊本市から届いた熊本城の今の姿を見て、立ち続ける強い姿に、鳥肌が立ちました。絶望よりも諦めよりも、沢山の人々の力と想いを得て、より強くなろうとしているのだと思います。
わごいちのすぐ近所にある坐摩神社さん。
私たちが大好きな神社です。
一度、手を合わしている時に突然の大雨に遇い動けなくなってしまったことがありました。
その姿を見られた権宮司(ごんぐうじ※神社の神職に就かれている男性のことです)さんが私に傘を持ってきてくれました。
小さな神社ならまだしも、大きく名も通る神社でそのような親切を受けて正直びっくりしてしまったのが本音です。
けれど、そんな温かい文化が引き継がれる坐摩さんであったからこそ、今のお姿があるのだと思います。
‥と、いいますのは。
この坐摩さんも、歴史の流れの中で、70年前の戦争で空襲の被害に遇い、全て燃えてしまったそうです。
この坐摩さんも、歴史の流れの中で、70年前の戦争で空襲の被害に遇い、全て燃えてしまったそうです。
もちろん御神木も。
けれど、この姿を今、私たちの目の前に再び現してくれています。
「坐摩さんはやっぱりこの街に居て欲しい。」
きっとそんな街の皆さんの想いが、力が、再び坐摩さんを本町に復活させたのだと思うから。
そして御神木は無くても、何本もの楠が立ってます。
1000年後はそのうちの一本が御神木になっているかもしれない。。。
私の目では見ることはできないけれど、遠い未来の先にあるはず。きっと強く大きく立っているはず。
想いは、何度壊しても諦めなければ必ず夢を実現する力となる。今はそう思えるようになりました。
3月15日はご新規予約受付の日です。
ご希望の方はこちらからどうぞ。↓↓↓
ご希望の方はこちらからどうぞ。↓↓↓
池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)※◆を@に変換して送信下さい。
<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」
by wago-ichi
| 2017-03-13 10:32
| わごいちの日常