解り合いたい
2017年 08月 22日
「参尽は友達が多いね。」と、言われます。
決してそんなことは無いと思うのですが‥、うん、でも縁を切って来た人の数は多いと自負しております。
?!!
良いお話じゃありませんね。ええ、ご想像通りです。笑
この丈夫な体と有り余るパワーで、10代20代の私は"怒り"の感情を抱いた人に対して一刀両断。「もうあなたとは解り合えない。」とタンカを切って、何度も友人関係も切ってきました。
けれど、それは決して私一人がジャッジできるものでは無くて、ましてや私が今見ている相手の顔はその人の持っているほんの一部であって全てではない。
それをなぜ見ようとしなかったのか。「何か違うんじゃないの?」と自分に湧いた疑問を一度‥いえ何度と受け止めて、顔を見て話し合おうと思わなかったのか。今だったなら、何か違ったかもしれない。
恐かったんだと思います。ただ‥恐かった。
「私の事を解って欲しい。あなたの事も解りたい。」
そう素直に言うのが怖かったのです。自分の持っている臆病な面、自信の無い面、愛して欲しくて仕方ない面を見られるのが嫌だったんです。
その面を自分が見るくらいなら、「あなたがそんな人だとは思わなかった。」と相手を傷付ける方が、私は楽だったんです。
"自分を変えない"で済むから。
そして自分を汚さないで済むから、「この人には私が理解できなかったんだ」と。
今だったらそんな事ではタンカ切らないよなーと思うのに。
あくまで私の持つ意見、そして相手へ抱く想い。たったの一面を正しいか間違いかなんて、そんなシロクロはっきりつけれるもんじゃない。
「なぜ?そうしたの?」と自分の抱いた想いを伝えて、相手の想いを聞けば、きっと縁は切らずに済んだはずなのに。
だってその人のこと、好きなんだから。
自分のこれまでの人生では、理解できない事はいくらでもある。
だって人が違うんだから、こんなにたくさんの自分と違う他人が存在しているんだから、聞いて話して理解し合おうとすることが自分の人間性を豊かにしてくれるものなんじゃないの…と、あの頃の自分へ思います。
わごいちに来てから、友人関係を自ら切ってはいません。一度も。
けれど、そこには無くてはならなかっただろう、とても大きな要素があります。
それは恐らく、丹足に出会ったから。相手の体が今感じていることを聞こうと、理解しようと、一生懸命考えた。でも考えて解るもんじゃなかった。
丹足は相手を感じようとすることから始まるのです。
その為には自分から攻めては上手く行かないのです、決して。自分は攻撃力をゼロにして、フニャンフニャンで相手に向かう。
かと言って深く深く相手に潜ってほぐせなければ、体は何も変わらない。気持ちはいいかも知れないけれどその人の体を、心を、変えることはできない。
沢山の人に触れて感情が豊かになるように、丹足でいろんな人に触れれば触れるほど、解り合えることが増えていくのだと思います。
それは、借り物の知識ではきっと得切れないことなのだと‥
豊かにはならないのだと、私はそう思いました。
少しそれが解って来たかな‥と思う今日この頃。丹足がとても楽しいです。
池田参尽
by wago-ichi
| 2017-08-22 10:03
| わごいちの日常