人生で出会った名医
2017年 04月 13日
生きていく中で"感性"というものはあらゆるところで養われることと思います。
今日は、今の私に大きく影響を下さった一人の方のお話をしたいと思います。
少し長くなりますが、お付き合いくださいましたら幸いです。
その人は、私の育った商店街を抜けたところにある「匡行医院」という診療所にいらっしゃいました。
いわゆる町医者と言われる病院の先生です。
まだまだ小さかった私が熱を出し、母が匡行先生のところを訪ね診てもらったところ、聴診器を当てて「この子心臓に雑音があるね。綺麗な雑音だけれど。」と言い当てたことをきっかけに、母は先生を信用し、私や兄に何かあればここにお世話になるようになりました。
窓口には薬剤師兼受付をされる母ぐらいの歳の優しい女性が座っていて、木箱を引いて薬を調合し、紙に包んで渡してくれる姿を見ているのが大好きでした。
子供だった私は、その姿を見たいのと、薬を飲むことが何か特別なことをしてもらっているようで、薬を処方されたがったのですが、「これぐらいやったら、寝てたら治る。」と無駄に薬を出すことをしない先生でした。
私が中学生の時に、昼ぐらいからおなかの中にガスが溜まりはじめ、放課後には痛くて痛くてしゃがみ込むほどになり、匡行先生のところを訪れました。
先生はいつもまず状態を聞き、聴診器を当て、舌・喉の確認をし、そこから痛みを訴える部分を触って触診します。
この日も、「おなかが痛い」という私に、ベットに横にならせておなかを数か所押さえてどこが痛いか確認し、そして「盲腸やね。」と言いました。
私が中学生の頃、『盲腸=切って取る』ということが多く、周りで「手術をした」と聞くことも度々あったので、私はおなかを切らないといけないんじゃないか‥と恐さでいっぱいでした。
すると、匡行先生は「今晩はお薬で様子を見てみましょう。上手く薬で散らせたらいいんだけどね。」とご判断下さり、私はドキドキしてその夜を過ごしましたが、翌日にはおなかの痛みも引き無事に薬で散らすことができました。
手術をしないで済んだこの時の出来事を、私は本当に感謝し、そして匡行先生の事をとても信頼するようになりました。
まず話を聞き、胸と背中に聴診器を当て、「痛い」という部分を触れて確認する。
今の世の中では珍しくなったと聞く「触診」を徹底される先生であった事が、後の私の体との向き合い方に影響しているんじゃないかと思うことがあります。
今、私はこうして整体という仕事をしていますが、子供の頃に"風邪を引いた"、"頭が痛い"など、何かある度に薬を服用することが当たり前だったら‥。
「お薬飲まずに症状を出し切りましょう。しんどいけれど乗り越えられたら、その分体が強くなりますよ。」という事をおなかを触っている皆さんに、自信を持っては言えなかったと思います。
私が一度家を出て、大阪を離れていた20歳の時に「匡行医院」は閉められました。恐らく、その当時で年齢は80歳近くになられていたと思います。
匡行医院があった場所は今ではスーパーの駐車場になっています。
わごいちへ通院されている多くの方が、
「薬を飲み始めると、その副作用を抑えるのにまた別の薬を飲まないといけなくなり、どんどん薬が増えてどうしていいか分かりませんでした。」
「お薬を止めれるなんて信じられませんでした。けれど止めれてよかった、飲まなくなって本当に楽になりました。」
と、おっしゃいます。
お薬の全てを否定するつもりはありません。どうしてもお薬を選択することが必要なこともあると思います。
けれど、自分自身の治癒力を信じてお薬に頼ることなく改善されるならば、それが何よりなのではないかと思います。
そう思える感性を養ってくれたのは、匡行先生のお陰だと思うから、人生でこの「名医」の先生と出会えたことに、私は心底感謝しています。
そう思える感性を養ってくれたのは、匡行先生のお陰だと思うから、人生でこの「名医」の先生と出会えたことに、私は心底感謝しています。
本当に無駄なく要点を抑え、的確に、患者と向き合う先生でした。
だから一見近寄りがたく怖かったけれど、実はユーモアもお持ちでクスッとなる笑いをくれました。
万年筆にインクを付けて、ササッとドイツ語で書かれるカルテも、机の上に山積みにされている色んな本も、懐かしい記憶となって思い出されます。
今、匡行先生がまだ元気でいらっしゃるのか、どうされているのかは解りません。知る由もありません。
けれど、時々こうして思い出し無性にお会いしたくなることがあります。
会ってお礼を言う事は、叶わないけれど‥
本当にありがとうございます。
池田参尽
by wago-ichi
| 2017-04-13 10:44
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