和合一致



父の大好物


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これ、父の大好物です。


「踏み合いっこ体験会」にご参加下さった、あまさんがお家の畑で採れたばかりのものを届けて下さいました。


沢山いただいたので、私たちもそれぞれ持って帰らせてもらい、早速母が料理してくれました。


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これこれ、河内(私の生まれである大阪市の外れ)の郷土料理と私は思っているのですが、子供の頃からエンドウ豆の季節になると献立に必ず出てきます。

父がにっこりして食べていた大好物。
私も、今では大好物です。

あーーー!!むっちゃ美味しいー!!


関東から通う、たけしゅうさんと施術中に話をしていて、私の父が脱サラして植木職人になったとお話すると、「家業を継がれたんだと思っていました。」とお言葉が。

続けて「私、わごいちのブログやSNSは全部チェックしていますけれど、それは初耳でしたー。」と、たけしゅうさんは言われました。
(何かと発信している情報が多いですのに、こうしてリアルにチェックいただいている方が多くて、本当に嬉しいです。)




・・・ということで河内の郷土料理をいただきながら、ちょっと思い出話を。


そうでした。


私の父は、30代前半の32歳のときにトヨタ自動車のディーラーの一つであるトヨペットという会社の営業マンを辞めて、自営で植木屋を始めたそうです。


一代で築いたこの植木屋を、父は決して「跡を継げ。」とは言いませんでした。


「お父さんもな、オヤジに仕事を継げと言われたことはない。自分のやりたいようにやったらエエ、て言われて来たからなあ。」

と、兄と私が進路を決めるときも、父はきっぱりとそう言いました。


父はこよなく自由を愛する人、自由の中でこそキラッキラに輝く人。
自由の中で思いっきり羽ばたいていけ!という生き方を体現していて、その分だけ自分に責任を持て、と言う人でした。

余談ですが、百姓だったおじいちゃんが、「こいつは稲もまっすぐ植えよらへん。(まっすぐ並べて種を植えない)ぐーねぐーねと植えたいように植えよる。」と、子供の頃の父のことを言っていました。

人に迷惑をかけることを心底嫌う父は「○○のせいで‥。」と、口にするような人生を、子供たちが歩むことだけは許せなかったんだと思います。



父は、「零戦」が大好きでした。

争いや戦争が好きな訳では決してなく、あの零戦を作り出せる日本人を誇りに思い、そして憧れていたようです。

兄と私がかなり小さな頃から、父は壁に貼ってある零戦のパネルの写真を見せては、「零戦、格好ええやろ?」と言っていましたが、同時に戦争のことや、"特攻隊"として若く命を落とした青年たちの死を悔やみながら、話を聞かせてくれました。

少年時代から憧れた戦闘機の面影に、父が自動車の整備士となったのは自然な事かも知れませんね。

そんな父が、車の整備士として働いていたあるとき、ドロドロの作業着を着ている自分たちのもとへ、毎度汚れることも無くスーツ姿で現れる営業マンを見て、「ちっとも汚れてへんし、そっちええなぁ。」と、思ったそうです。

そこから上司に直談判し、整備ではなく車を売る側である"サラリーマン職"をするようになります。
営業で他の支店を回っている時に、受付嬢として座っていた母に惚れた父は、めでたく結婚をします。




その直後・・・





サラリーマンを辞めます。


「面白くないねん。」と、父。


サラリーマンなら安心、と嫁に出した母の両親はビックリしたそうで‥。「専業主婦になるもんだとばかり思っていたのに…」と、母は後に言っていました。
その直後に兄が生まれました。



父が自分の歩んできた道の中で、よく私に聞かせてくれた話で、「お父さんの庭師人生は、800円のハサミ1本から始まった。」と、言うことがあります。

ある日、「ちょっと庭の木、刈れんやろか?」と、お客さんに言われ、経験は無かったけれどハサミ1本でその仕事をやり切り、その姿を見た隣近所の人から「私のところも‥」と、次々に依頼が来たそうです。

「おかげでちゃんと植木屋として商売ができるようになった。」と、父は言います。

32歳で、10年以上勤めて来たサラリーマンを辞めて、別の職を始めるのは本当に底力が要ると思います。

・・・でも、父は楽しい方を選んだ。「人生で楽しいこと」を、選んだんだと思います。


なぜ、植木屋を選んだのか‥私は、その訳を聞いたことはありませんでした。それを聞かずに何を解った気になっていたのか‥。私はいつも根本を逃してしまう。そこに想いを馳せるからこそ、始まるのに。




"なぜ、植木屋を選んだのか"


その訳を、父が亡くなる数年前に聞くことになります。

聞いた人は他でもない師匠。師匠のお陰で父の想いを聞くことが出来ました。
「院長先生とご家族と、家に招待させてもらわれへんかな。」とある日父が言い、家族みんなで我が家に来てくださった際に、師匠が当たり前に父に質問しました。

「なぜ植木屋だったのですか?」

と。



「僕ね、排気ガスをバンバン出す車を何千台と売って地球汚すようなことして来ましたから、次はそんな事やない仕事を…、て思いましたんや。」

父は、自分が納得して活き活きと仕事をできる場所を選んで、植木屋を開店したのです。


自分の過ごす日々の中で疑問を感じることは、人それぞれ、それぞれの価値観であると思います。こと仕事に関しては、疑問を感じながらそれでも続ける毎日は、相当のストレスだと言うこともみんな知っています。。。




「楽しい方を選ぶ」
「活き活きとできる場所で働く」

これは、父が教えてくれた仕事の流儀。

その中であれば、たとえどんな大変な事が起きようが、自分が納得して取り組める。自分で納得して取り組んで、乗り越えることができる。

父からは一言も、仕事に対して愚痴を聞いたことはありません。文句を言っている姿を見たことはありません。



自分で選んだ道だから、どんな道でも信じて進む。




"エンドウ豆と高野豆腐の卵とじ"をいただいていると、仕事の後に「プハーッ!」とビールを飲みながら、この大好物を本当に美味しそうに食べていた父の姿を思い出しました。

そういう思いで仕事に向かう毎日だったから、こんなにも幸せな顔だったんだね。


私も父のその顔に、負けない顔が出来るようになろう。










池田参尽
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by wago-ichi | 2017-05-20 10:04 | わごいちよりお知らせ | Comments(0)
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 大阪は本町、わごいちでは整体師として、千照館では指導員として務める日々を綴る、公式ブログです。
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