和合一致



カテゴリ:症例・内臓系( 39 )


ゲップ出ていますか?


「最近ゲップがよく出るんですけれど、ゲップって出る方が良いんですか?出ない方が良いんですか??」

と、施術中に聞かれることがあります。


ゲップが長らく出ていなかったのに、わごいちに通い始めておなかの不調が改善していくうちに、なぜかゲップが良く出るようになって、あまりに何度もゲップが出るものだから、心配になって来たそうです。


そもそもゲップとは、胃の中のガスが増えすぎてしまったときに、溢れる空気が食道を逆流して口からゲップとして吐き出される、という「生理現象」です。咳やくしゃみと同じですね。


「胃の中のガスが増えすぎてしまったとき」という事は、ゲップが出るのは胃にガスが溜まっているということ。

胃はガスが溜まることをとても嫌います。ゲップによってガス抜きをするという事は、おなかにとってとても大事だという事になります。


「じゃあ、ゲップがあまり出ない私は、胃にガスが溜まっていないということね。」


‥と、思っているあなた!ちょっと待ってください!!


ゲップが出ないから健康と思っているあなたの胃は胃下垂である、もしくは胃拡張を起こしているかも知れません。


どういうことかと言うと・・・


胃下垂である場合、


a0352194_09040971.png


胃が下にズドーンっと落ちる分、無理に伸ばされていて食道までが遠く、空気を出し切れない。また胃下垂になっている胃の多くは胃の壁の筋肉が萎縮していて弾力がありません。


一方、胃拡張である場合、


a0352194_09035960.png


慢性的に胃が大きくなっている為に、胃が常に無理矢理に引き伸ばされているような状態。こちらも胃の壁の筋肉は弾力を失っていしまい、長らく縮まることを忘れてしまっています。

胃下垂にしろ胃拡張にしろ、どちらの場合も胃の筋肉は弾力を失っています。伸び縮みする弾力があるからこそ、ゲップでガスを吐き出すことが出来るのです。

ですから、胃下垂や胃拡張を起こし、胃が元気に動けないような状態ではゲップが出そうで出ず、喉が詰まる感じがしたり、常に違和感を感じるということになるのです。

そのような症状の人が、わごいちに通い胃が本来の元気を取り戻していくと、これまで出せなかったゲップも自力で出せるようになり、胃の中に溜まるガスを抜くことができるので、胃はより元気になります。



「そう言えば‥長らくゲップが出ていない気がする‥」



というあなたは、一度自分のおなかの中を知ってみませんか??


今日5月15日はご新規様予約受付の日です。
ご希望の方はこちらからどうぞ。↓↓↓↓









池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」




by wago-ichi | 2017-05-15 10:01 | 症例・内臓系 | Comments(0)

刻一刻と変わり続ける胃


わごいちにいらっしゃる多くの人の症状に「胃拡張」というものがあります。
このブログでは何度と書いていますが、それでもまだ一般的には知られていないようです。

「胃拡張」とは一体どんな状態なのでしょうか。
このイラストをご覧ください。
a0352194_20423710.jpg
これこれ、こんな状態。

「おなかがぽっこり出ているなぁ。」とご自身で自覚はあっても、そのぽっこりの原因の一つが「胃」であるということを知っている方はまだまだ少ないようです。

このぽっこりの正体が一体何なのか・・、これは一般的には脂肪だと言われています。その為に食事制限をしたり、糖質を気にしたり、腹筋を頑張ったりするけれど、その割には思うように結果につながらないという現実に悩まれている方が多いようです。

「どうしてこんなに私のおなかは脂肪が着いてしまっているの??」
「どうしたらこのぽっこり出ているおなかがペタンコにへこむんだろうか。」
「ダイエットして体重は落ちたのに相変わらずおなかはぽっこり出ているわ‥。」

と、ご自身のおなかのぽっこりラインに悩んでいる。
そう言う方々がわごいちに来て、実際に私たちが施術でおなかに触れ「これはガスがパンパンに溜まって大きくなった胃が正体ですよ。」と、お伝えしてもすぐにはピンとは来られないようです。


ですから施術では、この胃に溜まったガスを出来る限り抜いていきます。

胃に溜まっているガスを抜いていくと、ガスが抜けた分おなかはへこんでいきます。もしこのぽっこりが脂肪だとしたら、この施術の短時間で簡単には無くなりません。それがわごいちの施術を受けると自分で触って驚くほどにへこむのは、脂肪が正体ではないからです。

そうして、施術を受ける前と後で形が変化する胃の状態を実感し、胃がそれだけ柔軟な臓器であるということを自分のおなかを通して知ってもらいます。ただ、ガスの抜ける度合いは人それぞれですので抜けやすいおなか、抜けにくいおなかと言うのはあります。





もう一つ、こちらをご覧いただきましょう。


a0352194_08451310.jpg

ガスが溜まって「胃拡張」を起こしている胃の多くは、胃の壁のあらゆるところに炎症が起きています。
けれど、ほとんどの方が炎症を起こし傷ついている自分の胃に自覚がありません。

ですから、私たちが施術で行うのはこの炎症に触れ、痛みや違和感を通して胃の状態を伝え、自分の胃がどれだけ痛んでいるのか感じてもらうことです。
私たちの手が胃の炎症部を探り当て、どこにどれほどの炎症があるのか、痛みで伝えながら炎症を取っていきます。

「ココが痛い」とより明確に自分の胃の状態を自覚できるようになれば、自然治癒力によって、炎症部分はちゃんと修復できるようになっていきます。

体の傷ついている所を治す自然治癒力、これは動物である私たち人間は、本来持っているものなのです。けれど、体が鈍感になり炎症部を感知できずにいると、その治癒力を発揮できずに胃の状態は一向に良くならない・・・

そうなると胃はどんどん元気を無くして、"食べ物を消化する"という胃のお仕事を行えなくなってしまうのです。




胃は刻一刻と変化していきます。

同じ人でも胃の状態は、一日の間でどんどん変わっていきます。
日常的な食べ過ぎ、ダラダラと何かをつまんでしまうなど胃に負担がかかる食習慣や、胃の苦手な油物や炭酸を好んで食べるなど、毎日の食事によって胃の負担が増えていくことで、胃の元気が奪われ鈍感にならざるを得なかった結果が「胃拡張」なのです。

あなたのおなかのぽっこりの正体はいったい何なのでしょうか。
胃なのか腸なのか、どれほどのガスが溜まっているのか。また炎症はあるのか、どこにどんな大きさで、どれくらいの深さの炎症が出来ているのか‥。

その正体を知ることで、あなたのおなかはきっと変わるでしょう。




本日、4月15日はご新規様予約受付の日です。
ご希望の方はこちらからどうぞ。
↓↓↓↓





池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」




by wago-ichi | 2017-04-15 10:18 | 症例・内臓系 | Comments(0)

おなかぽっこりの正体をご存じですか?


「おなかのぽっこりの正体は何か。」

わごいちに通っている方からすれば、「アレね!」とすぐ思い付かれることなのですが。

世間にはまだまだ浸透せず、「なぜなんだろう」と疑問を抱えている人がたくさんいらっしゃるのが事実、、、

今日は、そんな「おなかぽっこりの正体」についてお話しましょう。




「私のおなかのぽっこりはどうしてへこまないのかしら?」


この疑問は世間の多くの女性が抱えていらっしゃるのではないでしょうか。

腹筋してもへこまない、へこまないから腹筋が続かない…。そうして、また一体何が原因なのだろうと、頭のどこかでモンモンとしながら、日々が過ぎて行ってしまう。

多くの女性を悩ませる「おなかのぽっこり」。いくら腹筋を頑張ったとしても、思うほどの結果を得ることはほとんどありません。




なぜなら、その「おなかぽっこり」の正体は・・・
胃や腸に溜まって充満しているガスだからなのです。

このガスでパンパンの胃腸を押さえ込もうといくら腹筋を鍛えたところで、所詮腹筋はおなかの表面の筋肉ですから、おなかの中に充満しているガスにはなんの効果もありません。

そしてこのおなかに溜まるガスは、一見「おなかぽっこり」という悩みを抱えてなさそうに見えるスリムな人も、案外悩んでいらっしゃることが多いのです。。。


こちらのイラストをご覧ください。


まず、こちらが見た目も太っている人のおなかの中の状態。


a0352194_20423710.jpg


ガスでパンパンに広がり、四方八方へと大きくなった胃は立派に胃拡張を起こしています。
こういったおなかになっている多くの方は、腸も同じくガスでパンパン。
胃も腸も風船のように膨らみ、おなかの中はぎゅーぎゅーに詰まっています。

だから、見た目は浮き輪を抱えたように、胴回りは真ん丸。



次に、一見するとスレンダーな人。むしろ上半身は華奢過ぎるくらい、けれどその人のおなかの中は…


a0352194_20422947.jpg


やっぱり胃はガスでパンパン。上のイラストに比べると四方八方には膨らんではいないけれど、縦に延びながら広がっていて、こちらも立派な胃拡張です。

こちらのおなかも同じく、やっぱり腸にもガスが充満していることが多いです。胃が溜め込める容量が少ない分、腸へとガスを送るので上の四方八方に広がる胃拡張の人よりも、腸に溜まるガスは多い場合もあります。

だから、上半身とはうらはらにおへそ辺りから下腹がぽっこり出ている感じ。周りからは「細いのに!!」と言われても、本人はとても悩んでいらっしゃることが多いのが、このおなかの人。




たかがガス‥いえ、されどガス。

このガスをどうしたら減らせるか…


ガスでパンパンのおなかの原因は人によってそれぞれ。そして様々な要因によりガスは溜まり、また体外に出せずにおなかの中に充満します。本当に人によって違うところがガスの厄介なところなのです。

これまでも、何人もの人が「なぜ私のおなかはぽっこりしているの??へこませるにはどうしたらいいの?」と悩みを抱えてわごいちにやって来ました。そして多くの方がおなかのぽっこりとともに、自分のおなかの不調を改善して来られました。



もう一度言います。



たかがガス、されどガス。



ガスが溜まる原因を見つけ、またどのようにしてそのガスを減らして行くのか‥
人それぞれ違うそのガスの正体を見つけられるのは、実際におなかに触れる私たちだけです。

そして、ガスの正体を掴んだら、どうやったらガスが減るのか人それぞれに違うおなかに触れて施術を通し、改善方法をお伝えしていきます。食生活をはじめ日常生活の中で、これまでガスを溜める原因となった習慣と一つ一つ向き合いながら解決していく。

それほどに「おなかのぽっこり」を解決するのは難しいのです。

冒頭にお話ししたように、思いついて3日ほど腹筋を鍛えようとした所で、そのおなかのぽっこりはへこみません。



たかがガス。されどガス。


さて、あなたのおなかガスの原因は何なのでしょうか‥?
もし本気で悩んでいるのなら、一度ご相談下さい。



本日はご新規様予約受付日です。
ご希望の方はこちらからどうぞ。
↓↓↓↓







池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」

by wago-ichi | 2017-03-15 10:04 | 症例・内臓系 | Comments(0)

吐くことは体の防衛本能

吐くという行為は、体の防衛本能です。

痛んで腐った食べ物や過剰なアルコールなど、体が吸収すると有害だと判断したものを嘔吐して体を守っています。

それから食べ過ぎ。胃の中がパンパンに大きくなり、おなかの中がぎゅーぎゅーと押し合いへし合いし、それでも何とか処理しようと体は頑張りますが、これまでに胃や腸などが炎症を起こして傷付いた状態だと吐いてしまうことがあります。

ただ、吐くことはとても苦しくて辛いです。


もし吐くことが苦しくなければ、私たちはむやみに食べ過ぎてしまうかもしれません。

けれど、それは命を無駄にすることです。

自分の命を明日に繋いでいく為に、私たちは他の生きた命をいただきます。

だから食べ過ぎは、いけないのです。


昔から言われている、

「食べ過ぎは万病のもと」

と、いう言葉があるように。


犠牲の上に、命は成り立っていることを忘れてはなりません。


吐いてしまうこの行為が楽に出来てしまったら、私たちは食べ過ぎたことを後悔することがなくなってしまう。苦しく辛い思いをしながら、二度と繰り返してはいけないと私たちは後悔し反省するのです。

吐くことで胃はとても辛い思いをしながら、他の臓器を守っていると思うことがあります。

取り込んでしまったら、後は処理して吸収しようと、膵臓も腸も肝臓も腎臓も、すべての臓器は過重労働を課せられてしまいます。すべての臓器を酷使し、栄養を貯蔵する肝臓はパンパンに腫れ、ドロドロのにごった血液が全身を巡るようになります。

するとじわじわと全ての臓器は痛んで、不健康な体になってしまいます。

それを食い止める為に、はじめに食べ物を受け入れる胃が、これ以上は必要ないと体外に吐き出させてしまうのではないかと思います。


胃は苦し思いを一心に引き受けて他の臓器を守っている、そうして体は守られてきたのだと思います。








中学生の頃からずっと、夜中に吐いてしまう20代の女性が居ます。


わごいちの通院を始めて数ヵ月。少し回数は減ってきたけれど、まだまだ苦しい夜を過ごしています。


通院をしながら、本当におなかが喜ぶものをいただくこと、自分の適量を知ることを今、勉強し直しています。
勉強しながら、これまでの傷んだ臓器の炎症を取りおなかが元気を取り戻せるように施術を行っています。



あなたのおなかはきっと良くなります。


頑張ろう、頑張ろう。










池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆腹育道場「千照館」
◆FB「お腹元気サミット」

by wago-ichi | 2017-03-05 15:30 | 症例・内臓系 | Comments(0)

胃下垂と胃拡張



「なぜ??」と不思議に思う事があります。


それは・・・


ご自身では胃下垂で悩んでいると思って、わごいちに辿り着く人の多くは、

胃拡張であることが多い

のです。


ですから、カウンセリングで「胃下垂のせいであまり食べれないんだと思います。」「胃が機能していない感じがします。」と言う方の施術に入り、実際におなかを触ると多くは食道から繋がる胃の上部がちゃんと正しい位置にあります。

そこから“ドーン!”と風船のように膨らんで、おへそ辺りまで…酷い人は骨盤まで胃が広がっています。

a0352194_20245319.jpg
“どっすーん”と、このように。


胃の底は骨盤辺りにあるので、下腹がポッコリと出るので「胃下垂じゃないか?!」と思ってしまうようです。


そして「胃拡張ですよ。」と伝えると、皆さんすぐには納得できないという感じで「え??」という反応をされます。

胃下垂だと思っていた自分の胃が、まさかの胃拡張。イメージとして逆なのでしょうね。
慢性的な食べ過ぎによってそのような状態になっていると伝えると、ご本人としてはびっくりされる訳です。

「そんなに食べれないのに…?すぐに満腹になるのに??」

と、思われることが多いのですが、常にガスでパンパンに広がり膨らんでいる胃は、更に入って来る食べ物を受け入れるのは非常に辛いものがあります。

だから、思うように食べられない。。。


胃下垂の症状として、

・おなかの張りを感じる
・すぐおなかがいっぱいになり、一度に沢山食べられない
・胸やけ・吐き気がする

などといった症状を言われるので、実は胃拡張である自分の胃の状態とまるであてはまっていると思ってしまうのです。

けれど、ご自身が胃下垂だと思っていたら「栄養の吸収が悪いんじゃないか」と無理矢理にでも食べようとするので、なおさら胃は大きくなりおなかの中いっぱいに広がります。

その大きく広がった胃が、上から“どっすーん”と乗っかって来るので、腸からすればパンパンの胃に圧迫され、思うように働けないのです。


結果、すぐ下痢してしまうことが多いようです。
体の方が「無理無理もう受け入れられないよ!!食べ過ぎているからこれ以上栄養は必要ない!!」と下して出してしまう訳です。


もしくは便秘。
これも、やはり胃の圧迫を受ける腸が身動きが取れず、ぎゅうぎゅうに詰まって思うように働けない。だから、便が停滞してしまうのです。


胃拡張による弊害で、腸の調子も悪くなる…けれど、実は胃が元気になり正しい位置へと還れば自然と解決していくことなのです。




胃下垂と胃拡張。まずは自分のおなかがどのような状態であるのかを把握すること。


そこから、確かな改善への道が開けていくのです。



あなたの胃はどうでしょうか???








池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆腹育道場「千照館」
◆FB「お腹元気サミット」



by wago-ichi | 2017-02-20 10:00 | 症例・内臓系 | Comments(0)

<保存版>痩せ体質の改善の方法


以前から何度かこの問題については触れてきましたが、今日は「痩せ体質」についての症例をご紹介します。

世間では、相変わらず太っている人に関してのダイエットやメタボばかりが問題視されますが、私たちはわごいちで出会う人たちを通して、「痩せ体質」に関する問題が今、そしてこれから先、益々大きな課題になるのではと感じています。

「痩せ体質」の問題はまだ広く関心を集めていません。しかし原因は人それぞれですが「太れない」と悩んでいる人は実は沢山います。「痩せ体質」は年単位でゆるやかに進行し、最終的には取り返しのつかないことになりかねない大変深刻な問題です。それにも関わらず改善策が解らずに、あるいは間違った対処法によって、問題を深刻化させている人が多いことを、私たちは日々の施術を通して知っています。

「痩せ体質」は悩んでいる皆さんが思うほど簡単には克服できません。なぜなら「痩せ体質」は過去数年から十数年の生活習慣の中で作られてきた、とても根の深い問題だからです。このような症例を解説することは本当に難しいですが、だからこそ、私たちが一度しっかりと書くべきではないかと考えました。おそらく「痩せ」についてここまで深く取り組んでいるのは、世界中を見渡してもわごいちでしかありませんから。

真剣に悩んでいる方、ご一読下さい。



なおこれからご紹介する記事は、これまで「痩せ体質」に悩んで来られた方が、わごいちへの通院を通して「痩せ」を克服されていく過程で体に起こった変化を、解りやすく一般的にまとめたものです。しかし症状の出かた、改善していく過程も個人差があります。特にこの「痩せ体質」に関しては、人によってかなり個人差がありますので、あくまで一般的な参考事例として受け取ってください。

また以下の解説の中では推移を比較しやすいよう、想定体重「40キロ」と仮定していますが、もちろん体重は人それぞれで、年齢や改善への取り組みによって変化は一様ではありません。あくまでも目安としてください。

ではこれより、第1期から第4期と段階を分けて「痩せ体質の改善」について解説していきましょう。


a0352194_09020826.jpg
第1期 内臓機能停滞期

【想定評価】
体重‥‥‥40キロ(と想定した場合)
体の軽さ‥1
冷え感‥‥1
敏感さ‥‥1
消化力‥‥1
体力‥‥‥1
肋骨の広がり(以下:肋骨)‥1
内臓の状態(以下:内臓)‥1
※体の変化の過程が解り易い様に、目安として5段階で評価しています。

【特徴】
・肋骨はぺシャンと狭く、あばらが浮いている。
・非常に華奢(きゃしゃ)な体型。
・下半身の浮腫み(むくみ)が気になる。
・おなかが硬く冷たい。
・食べても食べても太らない。

第1期「内臓機能停滞期」の状態は、体の表面全体に浮腫みが溜まっていてなんとなく重だるい。冷えがきつく、体力がない。内臓も血流が悪い為、胃腸ともにカチカチに硬く冷たく、消化吸収能力も非常に弱い。その為、すぐに胃もたれを起こし、お米や根菜類などのしっかりした固形物は苦手で、アイスクリームや栄養補助食品など、口あたりがよく高カロリーな食品で栄養を摂ろうという人が多いです。また一度に沢山食べられないために、小分けに一日何回も食べものを口に入れ栄養を摂ろうとしている人も多いようです。

この第1期では、まずおなかに触れ、全身の肉質や血液循環を確認し、これまでの食生活のどこに問題があるのか、何が内臓の働きを停滞させているのか、その原因を見つけ出すことから始めます。「太れない」と悩みを持ったのは最近であっても、過去数年から十数年の食生活をはじめとする生活習慣の結果が、今の「痩せ体質」につながっています。まず、過去の食生活の遍歴から、何が今の内臓機能を停滞させているのか、その「原因」を見つけ出さねばなりません。

「痩せ体質」の人たちは、太れない理由を胃腸にだけ求めます。しかし多くの場合は胃腸だけではなく、肝臓や腎臓など他の臓器にも問題が見つかります。ですから全ての内臓を、そして全身を総合的にみることから始めます。その上で対処法を考えます。これが「痩せ体質」の改善へ向けて大事な最初の一歩と言えます。

わごいちでは施術の中で、内臓全体をじっくりとほぐしていきます。「痩せ体質」の内臓は、全体的に硬く冷たくなっています。血流も良くありません。これはおなかのあちこちが消化疲労で傷んでいるためです。また「痩せ体質」に顕著な臓器の委縮もあります。どこにどれだけの傷みや委縮があるのかを探り当て、一つ一つもみほぐしていくのです。おなかの血流が良くないと全身に血液が行き渡ることもありません。まずおなかの血流から。血流改善とわごいちのおなかの手技の効果で、少しづつ胃腸の不快感が減少していきます。


そうして、第2期へと進みます。



a0352194_09021754.jpg
第2期 内臓休養期

【想定評価】
体重‥‥‥35~36キロ(-4、5キロ)
体の軽さ‥2
冷え感‥‥1
敏感さ‥‥2
消化力‥‥1
体力‥‥‥1
肋骨‥‥‥2
内臓‥‥‥2

【特徴】
・肋骨が広がり始めるが、見た目はまだまだ華奢。
・余分な浮腫みが流れた分、より一層細い体型になる。
・下半身の浮腫みが取れる。
・おなかはまだ硬く冷たいが、冷えと温かさが混在している状態。
・体重は減少するが、体は元気。

第1期を経て内臓機能の低下が止まったら、次は内臓に休養を与える期間となります。

多くの「痩せ体質」の人たちは「太りたい」の一心で、高カロリーな食品をおなかに押し込んできました。内臓が弱って栄養が吸収できないのに高カロリー食を続けることは、内臓にとって非常に過酷なことで、益々傷んでしまいます。「食べても太れない」ということは、すでに内臓機能はギリギリのところまで傷んでいるということです。的確に現状を把握したうえで対策を取ることが必要です。

「痩せ体質」の人にとって必要なことは、高カロリーな食品を摂ることではなく、何よりまず内臓を休めることです。内臓はどれだけ傷んでいても活動中はなかなか修復できません。ですから「内臓を休ませ修復を図る」ことがとても大切なテーマとなります。もちろん必要最低限の栄養の摂取もまた必要です。「何を食べ何を食べるべきではないのか」それぞれの体質を見極め、変化に応じて調整していくことはとても大事なことです。そしてとても難しいことです。

弱った内臓に応じた食事に改めていく中で、これまで体が抱えていた余分な浮腫みは自ずから消失していきます。ここが第2期「内臓休養期」の体に起こる最も分かりやすい変化です。浮腫みが消失することで全身の倦怠感が軽減し、自身でも体調の改善を感じ、取り組みへの手応えを深めていきます。しかし体調の向上とはうらはらに、消失した浮腫み分の体重減少が起こることは避けられません。

この第2期が「痩せ体質」に悩む人にとっての山場となります。

元々「太りたい」あるいは「これ以上痩せたくない」と思って無理に食べてきました。この分だけ浮腫みになっているのですが、それはおおよそ数キロにもなります。これがそのまま消失することで体重は減り、見た目もあきらかに細くなります。周りの人からも「大丈夫??」と心配の声を掛けられることもあるでしょう。この体重減少は「痩せ体質」を改善する為に避けて通れない道なのですが、痩せていく体と減っていく体重が、自分と周りの人の不安をかき立てます。「このままで大丈夫だろうか‥」「どこまで体重が減っていくんだろう…」と心が折れそうだったと、この期間を経た皆さんが口を揃えて言います。

この時、おなかの中ではどのような事が起こっているのでしょうか。ようやく与えられた休息期に治癒力がよく働き、内臓の傷みが徐々に解消されていきます。胃の消化力はまだまだ弱くはありますが、第1期の頃よりは食べられる実感も出てきます。全身的な冷え感はさほど改善しないように感じますが、体内では浮腫みが消失したことで血流は良くなりはじめ、イラストで示されたように冷えの中にも温かさが生まれてきます。体重減少と反比例するように、おなかの状態は一歩一歩回復を積み重ねているのです。

第2期は、体重減少からくる精神面の不安が高まる時期であり、自分の体を信じる当人の心の強さが問われます。またここまで培ってきた私たちとの信頼関係の深さも問われます。家族や友人など周りの人との調和をとり、心の支えを得ることが必要になることもあるかもしれません。体だけではなく心も問われる。だからこそこの第2期が「痩せ体質」克服の中で一番の山場となるのです。

第2期における私たちわごいちの施術は、臓器の傷みの修復と弾力の回復に重点を置きます。治癒を促進し、傷みの修復を図ります。「痩せ体質」の臓器には全体的に委縮がみられますが、これは長年の消化不良、つまり消化能力を超えた質と量の食べ物を摂取し続けてきたダメージによって内臓の肉厚が減少し、硬くなっているものです。この委縮を解消するために、臓器に弾力を持たせる為のわごいち独自の施術を繰り返し繰り返し行っていきます。


この山場を乗り越えることが出来たとき、いよいよ待ちかねた第3期が訪れます。



a0352194_09023049.jpg
第3期 内臓回復期

【想定評価】
体重‥‥‥36.5~37キロ(+1.5~2キロ)
体の軽さ‥3
冷え感‥‥1
敏感さ‥‥3
消化力‥‥3
体力‥‥‥2
肋骨‥‥‥3
内臓‥‥‥3

【特徴】
・肋骨が徐々に広がり、胃の位置が少し上がる。
・細い体型ではあるけれど、肉質に弾力が出る。
・内臓にも弾力が出て、おなかが柔らかくなり始める。
・消化力が上がるので、空腹を感じ食欲が増す。
・血色が良くなる。
・体力が出始める。

第3期「内臓回復期」がやってくると、自身でも徐々に改善の手応えを感じられるでしょう。第2期で減少し続けてきた体重も底を打ち、体力面での手応えも出てきます。内臓がしっかりと休養し修復が進み出すので第1期、第2期と比べると食欲が増し、これまで食べられなかったものも美味しく食べられるようになります。余分な浮腫みを削ぎ落とした後の新しい体質作りの段階に入りました。だからこそ体の基礎作りとして栄養を考えていかねばならない時期が始まります。

この頃からおなかを触っていると明らかに感触が変わります。カチカチに冷たかった内臓は弾力が出始め、血流が良くなります。まだ第2期を乗り越えたところで外見は細いままだけれど、傷んで下がっていた胃が元の位置へ上がろうとすることで、胃の圧迫を受けていた腸も解放され、吸収力も上がっていきます。食べたものがしっかりと消化し吸収され始めるので食欲もどんどん増え、むしろ食べ過ぎに注意せねばならないほどです。体は益々軽くなり、肌の血色も見るからに良くなりはじめます。

充分な休養を経て内臓はいよいよ本格的な回復に取り掛かります。この第3期では、血流改善は内臓から全身へと広がって、血行の良い体になってきています。本人の冷え感はまだ残るようですが、末端まで全て冷え感を改善するには時間がかかるものです。しかし施術を通して私たちは、血流だけでなく内臓に弾力が出始め、肉質も細いながら弾力が出ていることを確認しているので、順調に改善に向かっていることを確認できます。体質改善というものはまず内臓から着手します。筋肉と骨はその後になります。「痩せ体質」改善においてはこの第3期「内臓回復期」で丈夫な骨を作り筋肉を付けられる“土台=内臓"作りが完成するので、この期間が本当に大切です。内臓の回復から筋肉と骨の再生へと繋がるよう食事内容も随時見直していきます。

第3期の施術は、これまでの内臓に重点を置いていた比重を徐々に全身に移していきます。まずはわごいちのハート呼吸と手技を併用して、収縮してしまっている肋骨を広げ直していきます。肋骨を広げることで、胃腸は益々上がって下垂を解消し、これがまた内臓機能の回復を導きます。また太ももやふくらはぎなど、それぞれの体に応じた施術を行います。時間をかけ、じっくりと体の芯の強さを再構築していきます。

見た目にまだ痩せていようとも、体調的にはもう「痩せ体質」ではありません。自信を取り戻したところで、第4期が見えてきます。






一つ申し上げると、これまでのような私たちの施術とご本人の食生活の改善だけでは、この先の第4期に行き着くことはできません。

もちろん第3期の状態でも充分に健康な体を取り戻すことはできています。外見は細いままではありますが体が軽くなった実感と、また消化力が上がったことで、心底ご飯が美味しいといただける喜びを勝ち取っています。ですから、ここを1つの目標とするのも良いかと思います。

しかし、「筋力・体力をつけ、体重を増やしたい」「見た目にもふっくらしたい」という更なる目標を目指す場合には、次の第4期のステップへ進むことになります。

a0352194_09024153.jpg
第4期 筋力・循環力強化期

【想定評価】
体重‥‥‥39キロ(+2~2.5キロ)
体の軽さ‥5
冷え感‥‥5
敏感さ‥‥4~5
消化力‥‥5
体力‥‥‥5
肋骨‥‥‥5
内臓‥‥‥5

【特徴】
・肋骨が広がり、胃が元の位置へと上がる。
・肉質は弾力が増し、筋肉がつき始めムチッとしてくる。
・内臓の弾力が増し、柔らかく温かいおなかになる。
・冷え症が改善される。
・消化力が増す。
・体力が付く。
・体重が増える。

第3期を経て、ようやく第4期「筋力・循環力強化期」が訪れます。
このときに間違ってはいけないのが、<体重が増えたから体力が付く>のではないということ。事実は全く逆で、<体力を付けることで体重が増える>のです。この事を理解しておかねばなりません。体重を増やしたければ、体力をつければいい。では体力をつける為に何をすべきなのか‥。私たちはここで丹練を皆さんにおすすめしています。

では「丹練」とは何でしょう。

丹練とは"体を鍛える中でおなかの力を高めていくこと”です。自分の体に合った適切な丹練を行う。この丹練を毎日続けていく為に体はより多くの栄養を必要とする。ここで第3期までに整えてきた内臓の消化吸収力が生きてくるのです。丹錬をし、体力をつけていくために必要な栄養を摂る。この栄養を内臓でしっかりと消化吸収する。そして血肉にする。この毎日の繰り返しが、浮腫みではない本物の筋肉となり脂肪となり、体は徐々に肉付きが良くなっていくのです。

わごいちで多くの人の体に触れていると、現代社会に生きる私たちの体で特に衰えを感じる部位が2つあります。それは「おなか」と「内もも」です。筋肉の繋がりで見ると内ももはおなかと連動しているので、結局おなかが弱いということになります。

私たちが皆さんに指導する丹練は、まさに弱ったこの「おなか」と「内もも」をちゃんと使える体を取り戻そうという試みです。日常生活で工夫してできる丹練、あるいは私たちが運営する道場「千照館」での丹足稽古と様々なやり方で、それぞれの体にあった丹練をコツコツと続けていくことで、おなかと内ももが強くなり、徐々にその強さが全身に広がっていきます。これらの取り組みをこの第4期において強化していくことで、頑張れば頑張るほど内臓も体全体も強くなっていきます。ここに至れば体調だけでなく体型的にも「痩せ体質」は完全に克服されていることでしょう。

以上、第1期から第4期まで段階を追って「痩せ体質」の改善のプロセスを紹介しました。このプロセスは私たちがわごいちで日々の施術を通して、これまで長年に渡って「痩せ体質」の改善に取り組み通院されている皆さんと一緒に試行錯誤し、研究を重ね、積み上げてきた大事なノウハウです。ご参考になれば何よりと思います。











以下、まとめます。

世間の多くの人は、たくさん食べれば太れると思っています。しかし、そう安易に考え内臓は処理能力を越えて食べ過ぎを繰り返すと、内臓疲労状態となります。そして、過剰なカロリーを処理できずに体に浮腫みとして溜め込んで行きます。一時は体重が増加しまずが、それは浮腫みという本来の血肉ではなく仮の体重と言えるべきものです。油分や糖分を大量に含んだ高カロリーなだけの食品を食べ続けることで短期的な体重増加と引き換えに長期的な内臓疲労、そして内臓機能不全へと繋がっていくことを知っておかねばなりません。

「痩せ体質」の克服は、高カロリー食品を食べることからスタートするのではなく、これまでに痛めてきた弱っている内臓を休めること。まず内臓を健全な状態へと回復を図り消化力を高めてから、その人のおなかの状態や体調を見て、本当に必要とする食事へと変えていきます。いくら食べられるようになったからと言ってコンビニのおにぎりやカット野菜では、やはり改善は上手くは行きません。栄養指導も内臓の状態を見極めてから包括的に行っていくことが必要なのです。そうして、しっかりとした“土台=内臓”を作っていくのです。

その上で体を鍛え、筋力と体力を養っていくことが必要だという意識を体に持たせることが大事です。
決して「食べる=太る」ではない、ということをもう一度ここで申し上げます。



では最後に、第1期から第4期を以下にイラストを1つにまとめて比較してみましょう。

a0352194_09015076.jpg

以上の順を追って改善に努めれば、多くの「痩せ体質」は克服することが出来ます。逆に言うと、この段階のプロセスを踏まないでは克服はできないということを私たちは多くの経験から学びました。内臓機能の状態の把握から休養、そして回復を経てようやく「痩せ体質」の改善です。その全てのプロセスにおいて適切な栄養指導とおなかの施術の助けが必要となることはいうまでもありません。

また、おなかの施術も「痩せ」に関してはとりわけ高度な技量が必要とされます。悪いのは胃なのか、腸なのか、腎臓なのか、肝臓なのか、人によって全く違う内臓の状態、刻々と変わる体質、それらを見極める眼力と施術力が伴っていないと、この「痩せ体質の改善」のプロセスは成功しません。よって私たちわごいちでも重度の痩せ体質の方は皆さん、わごいちの院長が担当する<山水コース>にて通院されています。

今日ここでご紹介した「痩せ体質」の症例をよくよく読んでいただいけば、お解りいただけるかと思いますが、1~2ヶ月という短い期間では「痩せ体質」の克服は出来ません。年単位でじっくりと時間をかけて段階を追い行っていくものです。また中途半端な取り組みでは、一層内臓を痛めて取返しのつかないことになる危うさをしっかりと心に止めておいていただきたいのです。

この情報社会の世の中であっても、本当に「痩せ」に関する情報は限られています。そしてお叱りを恐れずに言うならば、その情報のほとんどは間違っています。「太りたいなら食べろ」は本当に危険な考え方です。間違った情報で生活改善に取り組み、痩せ体質から治ることが出来ないで皆さん苦しんでいるのです。いえ、むしろじわじわと悪化させているのです。

専門家でさえ、この「痩せ体質」については高タンパク質・高カロリーの食品を摂取し、場合によっては食欲を増長する薬を処方し、体が必要とは感じていなくても無理やり食事を摂ること目指します。たとえ浮腫みであってもとりあえず標準体重へと数字を近づけるという試みがなされます。「痩せ体質」に対して我々の社会はあまりに無知です。

ここで問題なのは、困っているご本人だけが正しい認識と改善への取り組みをすればいいという訳ではないということです。実際にわごいちで痩せ体質改善のために通院されている方の多くが、上記「第2期」において身近な家族や友人からの理解を得るために苦しんでおられます。先に書いた通り、ここに書いた<痩せの事実>を世間のほとんどの人は知りません。「高カロリーな食べ物をできるだけたくさん食べれば太る」と認識している人たちにとって、ここでの情報は全く真逆。だからこそ誤解や言い争いが生まれます。これがまた新たな不幸を招くこともあるのです。

私たちがこのデリケートな問題を敢えてこのブログで公開したのは、一つはこの世間の認識を少しでも改め、本当の痩せ体質の改善に向けて取り組む人を応援する人が1人でも多く増えて欲しいと願うからです。どうか悩んでいる方、そしてこの内容に納得された方、是非周りの人にもこの解説を読んでもらってじっくりと話し合っていただけたらと思います。痩せ体質の改善は簡単ではありません。上に書いた通り、痩せ体質の改善は年単位の取り組みになります。長い取り組みの中で、心が折れそうな時もあるかもしれません。そんな時に支えてくれる人を得るためにも、どうぞ皆さんで一緒に考えてみて下さい。



最後に、「痩せ」の問題に関心のある専門家の皆様と、サイト管理されている皆様にお伝えしたいことがあります。

情報は一旦出した以上どのように利用されるかについて、出し手である私たちが関与することは事実上不可能です。これまでにこのブログ、もしくは我々の師匠のかつてのブログ「おなかのなか」で公開している情報もすでに一部が他のサイトに活用もしくは流用されていることもあるようですが、それに関しては何も申し上げるつもりはありません。

ただ、この「痩せ体質」に関する情報は、特に注意を払っていただきたいと思います。私たちがここでノウハウを公開するのは、世間一般の「痩せ体質」への認識を少しでも深めたいという、その願いからです。ですから、関心を持つ皆様がこの記事を紹介されることに関してはむしろ有り難いと思っております。

しかしその一方で、「痩せ体質の改善」の取り組みの過程で、私たちはいくつかの辛い思いをしました。私たちの技術やアドバイスが未熟であったために、改善途中で挫折してしまわれたことがいくつかあります。また1人だけ命を救えなかったこともあります。本当に辛く情けない過去までここに書くのは、同じような悲しみをこれ以上繰り返したくないからです。

どうぞ、この情報に関しては記事の一部流用などはなさらないで頂きたくお願い申し上げます。もし紹介されるのでしたら、この記事を余すところなく、また変更などすることなく、そのままご紹介いただけますでしょうか。またご紹介の際には必ずこのリンクを貼り付けて下さいますようお願いします。


「痩せ体質」への認識と研究が、今後益々充実しますように願っています。




ーわごいちー







池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>


by wago-ichi | 2017-01-25 18:53 | 症例・内臓系 | Comments(0)

【連載】抗がん剤治療を選ばなかった父が亡くなるまで➄原点に還って



12月がやって来ました。

この頃、父は右側を下にしてしか寝れなくなってしまいます。ほとんど寝たきり状態です。
だるい体を動かしてでも、何とか入っていた大好きなお風呂も入らなくなります。
それでも私は、廊下を歩くだけでも体を動かそう、と父に言い続けていました。

それでも一向に自分から歩こうとしない父に、自分で歩かないと治らないよ!!と怒りました。
その話を師匠にした時、師匠がゆっくりとこう言います。


「それは違う。お父さんがどうしたいのかちゃんと聞いてるか?それは君のしたいことを押し付けている事になるんじゃないか。」


父の体が弱って行けば行くほど、はじめの頃には聞いていたはずの父がどうしたいかという事を全く考えずに、自分の考えを押し付けていたことを知りました。

師匠に言われないと、そのことを自覚できなかったことが情けなくて恥ずかしかった。この期に及んで自分の恥の感情が湧くことが一層情けなかった。


数日ののち、夜中に父をさすりながら話をします。

父が今、何を考えているのか。

「お父さんはもう、何にも悔いはないねん、自分の人生なーんにも心残りはあれへん。」

私が居て兄が居て、甥っ子たちが生まれて、もう何も望むことはないと。



「充分生きた。」


と。



もう、生きることを終いに向おうと体と心が準備しはじめている父に、私はその覚悟を見ようともせず、逆のことを押し付けていた‥


ただ、私が父に生きていて欲しかったから。


この日から、改めて父がしたいことを確認するようになります。

「お父さんの思いも昨日と今日で、刻一刻と変わるだろうから、ちゃんと聞いてあげることが大事なことだよ。」そう、師匠に教えていただいたからです。



12月9日の診察。

レントゲンで、初めて左側に胸水が溜まっているのが確認できます。明らかに胸に漏れ出す体液のスピードは速くなっています。今度は左側に溜まった胸水を注射器で抜きます。

それだけじゃありません。呼吸がしにくいからと、酸素ボンベを自宅に取り付けます。2種類の痛み止めは効かなくなり、もっと強いお薬‥医療用麻薬の処方を父自身が希望します。(医療用麻薬について詳しく書かれているサイトを末尾に乗せています。)


痛みを感じることで、自然治癒力が働くなら、医療用麻薬を服用するということは、その体の仕組みを拒否することになります。

それ以外にも、食を一層絶っていきます。体が本当に力になるものを拒否していきます。ごはんからサンドイッチ、サンドイッチからサプリメントへと。


その1週間後の朝、父はやっとこさ起き上がれる体で、仕事の引継ぎを知り合いの方にお願いしていました。

絞り出す声は、以前の父とは別人のようです。おそらく癌は肺だけに収まらず、父の体のあらゆるところに転移していたのだと思います。

そのあと病院を訪れ、脱水症状を起こしているという事ですぐに入院を勧められ、父がそれを希望します。

ここから10日間の入院生活。

この時、最期を自宅で迎える為に、以前から探していた訪問診療をしくれる病院を「ピシッとしたはる」女医の先生が紹介してくれます。

今は、往診という形でお医者様に自宅に来ていただくことが難しいようで、家の近所の病院にも何件か断られていました。

かといって担当して下さっている先生に私たちから紹介してほしいというのも気が引ける…と思っていたので、この時に「私の先輩で、訪問診療を専門に開業されている医師が居ますので‥」と言っていただいたことは、本当に有難かったです。

癌治療を望まないと言い続け、父の意思も私たちの意思も最後まで変わらない事、父が延命治療を望まない事を理解して頂いていたからこそ(その為の資料をこのときに提示)のことであったと思います。

「今回の入院はあくまで自宅に帰る準備を整える為」という事を、先生から父に説明していただき、母は準備に取り掛かります。

訪問診療を受けるにあたっての転院の手続きや、家に介護用ベッドをレンタルして備え付ける、などの準備を行いました。


一方、再び急に始まった入院生活に、師匠と紙鳶さんは前回の入院のとき以上に、私が父となるべく長く居られるように仕事の段取りを取ってくれます。

こういう時こそ「倒れてはいけない」と、紙鳶さんが病院に向かう前の私を引き留め、食事を用意してくれたり‥


a0352194_10365797.jpg

ちゃんと美味しいとご飯を食べることが出来て、私が元気で居続けられたのは、何にも迷惑な顔をせず助けていただいていた、師匠や女将さん、紙鳶さんのお陰です。






「原点に還って。」

これは、この頃の父の口癖です。

鼻につながる酸素ボンベ、腕につながる点滴、そのホースをたぐり寄せ、トイレへ向かうのは大仕事となります。

思う通りに動かない自分の体に、一つ一つ段取りを口で繰り返しながら、上手く行かなくなったら「原点に還って‥」と段取りを取り直し、できることはこうなった時でもすべて自分で動いて、ナースコールを押すことは、ほとんどありませんでした。

この頃は左側を下にしてしか寝られなくなります。そんなある時、トイレから戻った父は私の前で、

「もうアカン‥。自分の体の事やから自分でわかる。」

と、言いました。その時からおしっこは尿瓶でするようになります。


お見舞いに来る人にも、あまり会いたがりませんでした。みんなに元気な時の姿を、覚えていて欲しかったんだと思います。

この頃にはもう笑うこともあまり無かったから‥。

要らないものを削ぎ落す作業の中には食だけじゃなく感情もあったようです。固形のものは何も食べず、豆乳とそれから果物の汁を吸って繊維は吐き出す、という具合でした。

けれど父がそうして、食を削ぎ落としても点滴はささったまま栄養が運ばれます。処理が追い付かない父の体は、浮腫んでパンパンになります。そのことを相談して、点滴の量も加減してもらいます。

この頃は父がさすって欲しいと言うところをさすり、床擦れを起こしかけているところをさすり、痛みが少しでも楽になれば‥と父の体に触れていました。

医療用麻薬が効いている間は穏やかですが、切れかけるととても辛いようで痛みで顔が歪みます。

落ち着いたときに「メロンが食べたい。」と言い、母が買ってきたメロンを一かけ口に含み汁を吸い、「これ、うまいな。」と、これが最後の食事。

クリスマスの日でした。

翌日に父は退院し、家に帰ってきます。


久しぶりの家での夜、病院と違うことに父は戸惑い20分ごとに隣で寝る私を起こします。


「電気つけて」
「尿瓶受けて」
「水飲むわ」
「尿瓶受けて」
「電気付けといて」
「今は夜か‥?」

と。

翌朝、ほとんど寝れなかった私を母は心配しますが、私は「大丈夫」と言ってわごいちに出勤します。

そして、師匠と紙鳶さんにそのことを話しました。

私が良かれと思い、母の負担を減らしたつもりでいたことは、母に一生の後悔をさせることになると、紙鳶さんが自分の経験を持って私に諭してくれました。

そのすぐ後に同じことを、師匠が私に言いました。

「最期まで添い遂げる、その妻としての君のお母さんの役割を、取ってはいけない。」

と。



その日の夜、父が隣の部屋で寝ているときに、母が私に話かけます。

「真由美、あのなお父さんこれで幸せなんやろうか。こうして連れて帰って来てしもたけど、病院で居る方が楽やったんちゃうやろか。私たちがやってることはお父さんの為になってんねんやろうか‥」

私は父の所へ行き、「お父さん‥、真由美らの為に生きてんの?」と聞きました。

今思ってもなんて質問を‥と思いますが、そうして私はいつも父に甘えていたんです。

もう意識は朦朧として自分の意思を伝えらずに居た父が、必死に顔の横で手を振り、

「ちゃう!ちゃう!」

と言います。「じゃあ、お父さんが生きたいから生きてるの??」と私は続けます。

父は一生懸命首を縦に振って、



「そ、そ、そ、そ‥」


と。







「お父さん、こう言うてるー!自分が生きたいからやってー!‥うわーん!」

と泣く私に、

「真由美、そしたらな、私たちが倒れたらこうしてお父さんに家に帰ってきてもらった意味が何にもなくなってしまうから、あんたもちゃんと寝るようにして、私もちゃんと寝て体壊さんようにするから、他の人には何て言われても3人で頑張ろう!!」

と母は言い、2人で泣きました。「これでもう泣くのはおしまい、明日から頑張ろうね。」と言い合って。


私は母のその言葉に、延命治療をしない事や自宅で訪問診療を受ける手続きを、お父さんの意思だからと勧めながら、父の兄妹や従兄弟たちに囲まれながら、不安で不安でしようがなかったんだと知りました。



その夜、介護用のベットの上で父と母が仲良く寝ている姿を見ます。

家に帰ってきたことを理解した父は、この夜は母の隣でゆっくり眠れたようでした。

久しぶりに2人が一緒に寝ている姿を子どものとき以来に目にして、とても嬉しくなって温かい気持ちで私も眠りにつきました。



そうして翌日、私が仕事納めのわごいちに出勤したあと、母と2人だけの家で父は静かに息を引き取りました。



平成28年12月28日。

一年後の父が亡くなった命日に、葉書が届きます。

最期を看取り、"死亡診断書"を書いてくださった訪問医療の先生からでした。



a0352194_10370197.jpg





以上が父と私たちが、抗がん剤治療を選ばずに父が最期を迎えるまでの話です。

癌というのは、突然ビックリするような速さで人を変化させていきます。でもそれは周りの感覚で、当の父はどこかで自分の変化を察知し、常にどうするべきかを考えていたように思います。

はじめは強く生きようと思っていたけれど、時間が経つごとにそうでは無くなっていった。けれど、生を放棄するわけではなく、父はこれまでと変わらず自分の意思を持って生き続けていました。

どうあっても、今を生きている人間には悔いが残ります。

死を真横で見ている人間が後悔しないようにやりきるのは、死に向かう人の人生の中では不可能なのかもしれません。

大事なのは、当事者である本人が悔いを残さないように生を全うすることなんじゃないか、ということを父の死を通して私は感じました。

父の死に様は、生き様そのままでした。

生きたいように真っすぐに、大好きな人たちに出来るだけ迷惑をかけないように、父は自分の人生を全うしたんだと思います。

生きている限り父の持ち続けた意志は、家族を守る事。父が最期の時まで、気にしていたのは私たち家族の事でした。


母を、私を、兄を、甥っ子たちを‥。


したいように自分の人生を生きて来た父。

父の悔いのない人生は、誰にも迷惑をかけずに、家族を繋ぐ役目を担った自分の生を終えること。


父の還って来るところは、いつも家族です。


だから私は、これからも家族の中で自分の役割を考え、今の自分の居場所での家族の一員としての在り方を、常に問い続けていきます。


(おわり)





今回、わごいちの公式ブログ「和合一致」を使って、この機会をお許しいただき、本当にありがとうございました。
何も言わず、書きたいように書かせていただいた師匠、ありがとうございました。
女将さん、紙鳶さんありがとうございます。

また長きに渡り、この連載をお読みいただいた皆様、ありがとうございました。





参尽



★文中にあった医療用麻薬と延命治療を望まない場合の資料に関するサイトです。★
※あくまで解りやすい説明であるという私個人の判断で以下のサイトを選びました。どなたかのご参考になれば幸いです。

◇医療用麻薬について→「がんのつらさ」
◇延命治療を望まない場合の資料について→わたしの延命治療拒否宣言





池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。
このブログのあり方はこちらをご参照下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」


by wago-ichi | 2017-01-07 11:00 | 症例・内臓系 | Comments(0)

【連載】抗がん剤治療を選ばなかった父が亡くなるまで④捨てない希望


10月に入った辺りから父の体調は変わり始めます。


時々痛みが出るようになり、以前から処方されていたけれど手を付けることがなかった痛み止めの薬を服用するようになります。

病院からは2種類の痛み止めの薬を処方されていました。
軽い薬と強い薬の2種類です、そして、この時はまだ軽い薬だけを飲んでいました。

食欲も減り始めます。

白いごはんが食べにくいと、天津飯や焼き飯など味が付いているもの以外は食べなくなります。
嫌いなものにはあまり手を付けなくなるので、お野菜をほとんど食べなくなります。

母が工夫してサンドイッチに挟んでいました。そうすると食べます。

体力・気力が無くなっているのは食欲が落ちているからだと、例外ではなく父もそう考え、栄養ドリンクと「コンクレバン」を飲み始めます。

「コンクレバン」とは、レバーを加水分解した飲料で、アミノ酸+ビタミンB群の液体サプリメントだそう、これを近所の薬局で父が自分で買ってきました。
そして、後に全く固形のものを胃が受け付けなくなった時も、「俺にとってのステーキや。」と言って飲んでいました。

ハッキリ言って、全くおいしいと思えない味です。匂いもとてもキツイです。
元気で食欲旺盛だったころには、絶対に手を出さなかったもの。

“ちゃんと噛んで食べるものじゃないと栄養にならない、臓器に負担をかけるだけ”と言っても耳に入りません。父にとって"気付け薬"のような役目になっているようだったので、それ以上は何も言いませんでした。

仕事も、店先に座っているだけになります。
母の力を借りて、何とか刈り込みに取り掛かります。
大きなハサミを両腕を使って動かすのですが、その力が無いので思うように刈れない、これまでは半日で終えていた現場を3日かかって何とか終えるという状態になりました。


a0352194_16585435.jpg

何とか植木の配達をこなす父の後姿。

運び始める前に車の中で「よし!!」と気合を入れ出ていきます。この程度の距離は以前なら、台車など使わずに運んでいた距離です。
咳も出ず、息切れすることもないけれど、常にだるさを感じているようでした。

そして、11月に入ったときに伺った診察で、右胸の胸水が先月より増えます。

先生から、この程度の胸水なら注射器で抜くことも出来ると聞き、父は迷わず抜くことを選びます。
おそらく、1年前のように胸水を抜くことで食欲も気力も戻ることを望んだんだと思います。

父は楽になったと、この日の帰りはいつものように、「オムライスの大。」を注文。
けれど、半分食べたらおなか一杯になっていしまい、それでも久しぶりに良く食べたと嬉しそうでした。

その後もあっという間に調子は悪くなります。
痛み止めは軽い薬と強い薬の両方を服用するようになり、食欲は再び減り、店番にはほとんど立たず、人に呼ばれた時だけ外に出るといった様子でした。


服用を始めた頃は、栄養ドリンクも痛み止めの薬も、私には出来るだけバレないように隠して黙って飲んでいました。当初私は、それを気付けなかったし、父がそうしないといけない環境に自分がしていたことを、とても申し訳なく思います。

整体師として私は、「どう言うたらいいんか‥痛痒いねん。」と表現する父の痛みを取ってあげることも出来ず、今までの整体師としての私の経験では何にもできませんでした。


師匠に、どうするべきなのかを伺いやっと自分がしていることが、父の体が求めていないことだと解る、といった状況が続きました。

なんとかしなければと思って父に触る私の手は、丹足する足は、父の癌を思い遣るにはほど遠く、父の体を痛めつけ何の効力も無いものになっていたかもしれない。

この状況になっても、父に自分の考えを押し付け、甘えていた‥とは今になって思う事。
当時は気付くはずがありません。

師匠に、「さすってあげるだけでも違うから。」と言っていただき、さすって痛みが楽になるときは痛み止めをなるべく飲まないように頑張ろうと、父と話します。特にうずくのは腰…腎臓の辺りでした。
強い方のお薬は胃への負担が相当なので、同時に胃薬を服用します。
胃は肺のすぐ傍にある、だから肺への影響を考え、なるべくお薬を減らそうと考えたのです。

昼間、私が仕事に行っている間は母がさすり、帰ってきた後から夜中の間は私がさするといった具合に。

「まいちゃん。(私のあだ名)」と父に呼びかけられたら、すぐに起きてさすります。2、3時間ごとにうずくようでした。

夜中に私に何度も声を掛けることに気を使い、こっそりと痛み止めも服用していたようです‥。


ある日父は私に、「この本買って来てくれ。」と新聞に載っていた本を指さします。
すぐに書店に注文し、届いてすぐに目を通すと"抗がん剤治療をせずに癌が治った"という内容で、最終的には"このサプリメントのお陰だ"と多くの体験談が書いてあるサプリメントを紹介したものでした。

父がその話に乗っかる訳は無いと、その本を渡したのですが、読んですぐにその高価なサプリメントを注文したいと母に相談したようです。

それを聞いた私はビックリしました。けれど父から「それが癌に勝てるか、最後に賭ける希望だから。」と言われます。





抗がん剤治療を選ばなかったら、じゃあどうしたら良いのか‥。
私たち人間が癌にかかったとき、抗がん剤治療を選択するのは、選ばなかった場合に他に何をしたらいいのかという情報がほとんど無いからではないでしょうか。

本人にも家族にもその知識が無い。
だから、抗がん剤治療を選択してしまう。


私たちも、抗がん剤を選択しなかったからと言って他に何が出来るのか解らない。


もう、何もできない。
何も出来ることがない‥と何度も恐怖を感じました。
出来ることがないということは、ただ苦しんでいる父を横に見ながら父の死を待つだけという事。

焦るばかりで、どんどん視野が狭くなります。
父が何を思っているのか、どんなことを考えているのか聞く余裕もない。




11月の終わりには、父はほとんど寝たままになります。

11月23日の父と母の結婚記念日。
兄家族が帰ってきますが、ほとんど寝たまま、用意したお寿司も5貫食べるのがやっと。
甥っ子たちが心配しても、体を起こさないでいるのは初めての事でした。





「あのサプリメント、効かへんかったなー‥。」


と言った、あの父の無力感だらけの言葉は、今思い出しても涙が出ます。






a0352194_16590437.jpg



彫り物が得意だった父は、『隣の人間国宝さん』にも認定されたほど。
「ピシッとしたはる」担当の先生にも打出の小づちを彫って、プレゼントしていました。

翌月の診察の時に先生が携帯につけてくれているのを、父はとても嬉しそうに見ていました。




第一回プラチナブロガーコンテスト


池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆腹育道場「千照館」
◆FB「お腹元気サミット」

by wago-ichi | 2017-01-06 16:42 | 症例・内臓系 | Comments(0)

【連載】抗がん剤治療を選ばなかった父が亡くなるまで③抗がん剤治療以外の選択


その後、経過良好だった父は胸水を抜くための管を外し、胸に空いた穴を閉じる薬を入れます。順調に傷痕は塞がり、予定よりも早い退院となります。

退院して数日後にはいつもの作業着に袖を通し、

「だいぶ休んでしもて、お客さんに待ってもらってるからな。」

と、仕事に復帰しました。入院生活で筋肉は落ちてしまい体重は10キロほど減りました。
けれど、むしろ動きは軽やかで、心配していた近所の方もお客さんも安心し、また以前と変わらない毎日を取り戻していきました。


食欲もムクムクと湧いてきて、大好きな唐揚げやフライもの。朝のトーストもおやつも、変わらず食べる父。もちろん晩酌のビールも復活。


私が、「病に勝つには食事が大事だから」と言ったところで、家族の言うことはやっぱり一番聞きません‥。

せめて、ビールを麦芽とホップ以外何も添加されていないものを選ぶ事や、使うお野菜やお肉の質を良いものにしたり、献立の工夫を母にしてもらったり‥と何とかマイナーチェンジすることぐらい。
唯一、カップラーメンは食べなくなりました。(それでも、大好物のどん兵衛きつねうどんはやめなかったけど。)

以前のように食べられる事、美味しいと父が喜んでいる事が嬉しかった。
一緒にお酒を飲めることも嬉しかった。やっぱり楽しかった。

元気を取り戻し再び店先に立つ父の姿は、私たちを、そして周りの人を励ましました。

けれど、私たちには常に肺がんの気配がつきまといます。いつまた…、という気持ちは家族みんなどこかに抱えていたように思います。
けれど、肺がんを抱えていても父は何も変わらなかった。父は変わらず「人気者」でした。


病院にはひと月に一度、診察を受けに行きます。レントゲンを撮り、胸水が増えていないかどうか確認をします。
この時の毎月の診察でお世話になったのも、「ピシっとしたはる」と父が言った女医の先生です。

そして、後まで長いお付き合いとなる先生。
この先生のお陰で、私たち家族は‥父の、「畳の上で死にたい」という願いを、叶えられることになるのです。
今の時代にはとてもとても難しい選択です。自宅で亡くなる人の方がはるかに少ないと言います。
病気→入院という流れに逆らえず、病院のベットの上で亡くなられる方がほとんどと聞きます。

自宅で亡くなると「不審死」として扱われるので、警察沙汰となってしまいます。
(私たちは、そのことをこの本で知りました。→『大往生したけりゃ医療とかかわるな』


けれどこのときは、この先どうなるのかはまだ何も知りません。



毎月、病院へは私の定休日である水曜日に父と母と3人で伺い、診察を受け、「池田さん、どうですか?痛みが出たりしていませんか?」の先生の問診に、

「お陰さまでどこも痛ないですわ。食欲もあるし、仕事も出来てます。」


毎回この返答です。

先生は、私たちから精密検査することも断られる、治療も要らないと言われる、医師としてするべきことがない訳です。

やりにくい患者と家族であったと思います。


診察の結果が、「胸水も増えることなく変化なし」だったら、帰りは病院からすぐ近くの洋食屋さんで、瓶ビールを頼んで乾杯。
これが、毎月のお決まりになりました。

お父さんはいつもオムライスの大。

オムライスも大好物だったとは…。


こうして、手術をした2014年9月の末から一年間のあいだ『肺がん。Stage4。』でありながら、健康な人と変わらず、父は毎日を父の人生として過ごします。

「お父さんのこの命は無かった命や。1回死んでたとこやったからおまけの人生や。こんな有り難いことはあらへん(ない)で。」

いつもその気持ちを忘れてへん、とそう言っていました。


「余命4か月」と言われ2015年1月を何事もなく迎えました。

新たな一年が始まり、春がやって来ても父の体は調子良く、家族3人旅行に行ったり、変わらず元気に過ごします。



けれど、この頃から父は不思議なことを言います。

肺がんが原因で起こった胸水”と言われていたのに、自分は癌じゃないと言うのです。

人に聞かれても、もう治ったと…。

私と母は「あれ…?」と思いました。


のちに師匠にその話をしたことがあります。
師匠はこう言ってくださいました。

「お父さんは、解っておられたと思うよ。解ってたけど、周りの人には心配かけないようにそう言ってたんじゃないかな。」


今思うと、癌細胞の宿主である父が癌じゃないと言っているのだから、癌じゃなかったのかも知れない。

確かにその時の父は、仕事に励み、お酒を楽しみ、胸水のたまる気配もなかった。

誰から見ても「癌患者」ではなかったのです。



けれど、少しずつ流れが変わっていきます。



5月のレントゲンでは少し溜まっていた胸水が、6月には減り、何よりだと喜んでいたのですが、8月の暑さの中でこなす刈り込みの仕事に、以前よりペースを落としていると言いながらも、「もうちょっと!」と無理をしたんだと思います。

けれど、父自身もまだ無理がきく自分の体に、不安を感じることもない様子でした。

7月8月と変化が無かった胸水ですが、ちょうど丸1年が経った9月の診察では、少し増えます。


それでも、まだ傷みも何も無い、呼吸もちゃんと正常な数値で出来ている、父は元気であると思ってしまいました。

幼馴染みの居酒屋で、御主人と奥様にそのことを報告し、一年間をこうして無事に過ごせたことを乾杯して、私たちは幸せでした。


その数ヶ月後に父の容態が一変することは、全く予想できないことでした。





(つづく)


a0352194_13130152.jpg



2015年1月。
お正月に父作の福笑いで、甥っ子たちと遊んでいるところ。

みんなでゲラゲラ笑ったお正月の思い出です。





池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。
このブログのあり方はこちらをご参照下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>
◆整体院「わごいち」
◆FB「お腹元気サミット」


by wago-ichi | 2017-01-04 13:00 | 症例・内臓系 | Comments(0)

【連載】抗がん剤治療を選ばなかった父が亡くなるまで②決断の理由



母からの連絡で、「もう無事に手術も済んでるから、仕事終わったら病院に来てね。」と言われ、駆け付けた私に、父が放った第一声は、


「まゆみー。すまんな、ビックリさして。仕事はちゃんと済んだんか??」


そして、こう続けます。

「あのな、担当してくれたお医者さんがママ(父の姉の愛称です)のこと担当してくれた人やったんや。こんな偶然あるねんな。」




父の姉は、同じ商店街で駄菓子屋さんをしていました。
首にコブができたことがきっかけで病院へ診察へ行き、治療を受けたのがこの病院でした。そのコブが癌によるものと解り、放射線治療をし、最後は抗がん剤治療にかかります。
けれど、ママは亡くなりました。それが15年前です。

「癌になったらあっちゅー間(あっと言う間やな)やな。どんどん弱弱しくなっていくママの姿も、おきん(父の妹の相性)と一緒や。」と父は言いました。
更に数年前にも、実の妹も四十代で癌にかかり、抗がん剤治療に取り組みますが、亡くなっていたのです。



ーそして、自分の姉と妹の癌治療を一番そばで見ていたことが、後に父が抗がん剤治療を選ばなかったことに大きく関係してきます。ー


緊急手術と聞いてビックリしたけれど、昨日の父より明らかに元気で、先ほど終えたばかりの手術の実況中継をしてくれる父に、こんなに話しができるの久しぶりだと、とても嬉しかった。

「まゆみ。呼吸すんのがめちゃくちゃ楽やねん!今日までのことが嘘みたいや。」

鼻には酸素ボンベへと繋がる管が挿してあり、そこから適度な酸素の量が出てくるので呼吸が随分楽なようで、肺に管がささっている部分も全然痛くないと笑顔が出る父にホッとしました。


肺を潰している原因となる胸水を抜くには、空気圧の関係があるので、一度には抜けないそうで、2週間ほど入院して徐々に抜いていく、という事でした。
ここで、少しづつ肺が元通り膨らみ、正常に呼吸が出来るようになれば退院できる、と病院から伝えられました。

これが父の、70歳を過ぎて人生初めての入院生活となります。


師匠と紙鳶さんに伝えると、「お父さんが入院されている間は、なるべく会いに行ってあげて。朝は遅い出勤でいいから。」と快く言っていただき、仕事の前後に毎日父に会いに行きました。


会いに行く度、日に日に元気を取り戻していく父。
すぐに酸素の管も邪魔だと外し、行動範囲が広がり病室にはほとんど居ない‥。

いつも居るのは談話室。
お見舞いに来てくれる親戚や父の友人や誰かと必ず話していました。

突然の知らせにびっくりして駆け付けたみんなは、病人らしからぬその元気な父の姿にホッとして、帰りは笑顔でした。


ただ、父の隣には胸水を溜めるタンクが備え付けられています。管がささったままだからどこに行くのもそのタンクと一緒。
そこにどす黒い濁った液体がどんどん溜まっていくこと、それだけが病人。



友「ほんでも、なんでコレ(胸水)がそんなに溜まるんやろなー。」

父「それやで。もう3リットルも俺の体から出て来てんねん。そらそんだけ溜まってたら息も出来んようなるわな。」



満タンになるとタンクを変え、またそこに胸水が溜まっていく。
はじめのどす黒かった父の体液の色は、そのうち綺麗な透き通った黄色に変わって行きます。この頃には排水されるペースも随分とゆっくりになりました。



ビックリするほどの量を、父の胸から排水され続けた胸水。




その胸水の原因こそが、肺がんによるものだったのです。

父が入院してしばらくして、私たち家族が聞かされたこと。母が説明を受けたことを私に伝え、紙を見せてくれました。


そこにはハッキリと、


『肺がん。Stage4。』


と記されていました。




そして、「余命4ヶ月。」「抗がん剤治療を受けた場合、余命1年。」の文字が目に飛び込んできました。

「でもこれは、あくまで予測なんやって。ちゃんと知るためには精密検査を受けなあかんねんて。それで、肺以外にも癌が転移してないか。転移してたらどこにしてるか、それによって手術するとかどの抗がん剤使うかとか変わるらしいから‥。あんたはどう思う?」

と母。

そう言いながらも答えは同じと、私も母も思っていました。





"お父さんがどうしたいか"




父が自分で、自分のしたい決断を堂々と選んでくれると、私たちは何も心配していなかったのです。
そうして、本当はいつでも頼りになり、信じることに不安もなにも感じさせないでくれたことに、今となって気付きます。


父は直接担当の先生から、この説明を受けたと聞きました。
そして、精密検査を断ったことも。



翌朝、病院に行くと、父は談話室で新聞を読んでいました。
大きく全面が窓の談話室は、ホテルからの景色にも負けないほど。朝日が差し込んでとても綺麗で気持ちが良くて、ほとんど病室にいない父の気持ちが解りました。病人でいたくなかったんだろうなー。

父がいつもの席に座っている姿を確認しそばに行くと、若い白衣を着た女性が近づいてきました。


父の担当医の先生でした。
父には担当医師が2人居て、1人は父の姉を担当してくれた方で、もう1人がこの先生だそうです。

初めまして、の言葉も早々に、

「池田さん?やっぱり検査は受けられませんか??」

と。


「先生、いいですわ。検査してもうて悪いとこ解ってしもたら(しまったら)何かしたなりますやろ、それやからいいですわ。」

「またご家族の方とも相談して、検査が必要と思ったらいつでも言って下さい。」と先生は言い、去っていきました。

先生が去った後父は、

「まゆみより若い先生やろ、20代やで。でもピシッとしてはって、言うことは言わはるで。」


それから、父は父の考えを私に伝えました。


「お父さんな、おきんもママも見て来てるやろ。あれから10年以上経って抗がん剤も随分と良くなってる言わはるねん。せやけど、抗がん剤始めた途端にあんなゲッソリ痩せて毛が抜けて、あっという間に寝たきりなって、辛かった思うわ。あんな姿になった自分見られるの‥。あいつら自身は幸せやったんかなーて思うねん。それで、癌が治ったんやったらええけど2人ともすぐに亡くなってしもうてな。それまでも癌は(体の中に)おった訳やろ?せやけど元気にしてたやろ。」


そして、こう続けます。


「お父さんはお迎えが来たら、しがみつかんと逝くて言うてたやろ。癌が勝ったらそれまでや。それがお父さんの寿命や言うことやと思わへん?(精密検査で)調べるいう事は、自分からわざわざココにもアコにも癌があるて解ってしまう言う事やろ?それが解ったら、余計に負けてまいそうや。知らんかったら、なーんもあれへん。こうして、お父さんは元気やて思えるやん。」



この後も、父のこの考えは変わることはありませんでした。



父は、抗がん剤治療を断る以前に、治療を始める準備さえも断っていたのです。

自分のきょうだい達の死を近くで触れていたあの頃から、自分の生き方を考えて来ていたのだと思います。
「抗がん剤は絶対にしない」「お迎えが来たら逝く」と、言った言葉を貫き通しました。



ここから、私たち家族は幸せな1年と2か月を貰います。
同時に、人間一人一人がそう簡単に変わらない事、でもその中で、家族として一緒に生きる事、家族としての関係を、今までと変わらずそれぞれの人生を生きながら築き続けていく事。

その為の試練が、それぞれにあること。




(つづく)

a0352194_20003287.jpg

今朝、母と氏神さんである神社へ。

喪が明けるまでの一年間は鳥居をくぐってはいけないので、久しぶりに参りました。
なぜか我が家は毎年1月3日に参拝。せっかちな父は人混みで並ぶのが嫌だったんだろうなー。。。








池田参尽
wago-ichi◆excite.co.jp(ファンメール送り先)
※◆を@に変換して送信下さい。

<私たちの活動 ↓↓↓クリック↓↓↓>

◆整体院「わごいち」
◆腹育道場「千照館」
◆FB「お腹元気サミット」

by wago-ichi | 2017-01-03 19:57 | 症例・内臓系 | Comments(0)


 大阪は本町、わごいちでは整体師として、千照館では指導員として務める日々を綴る、公式ブログです。
カテゴリ
以前の記事
おなかの入門書
検索
最新の記事
超簡単♪ノンオイル豆乳カルボ..
at 2017-06-24 10:10
あと3日!!
at 2017-06-23 17:22
ヌメリにはまってます
at 2017-06-22 14:40
本当に大切なもの
at 2017-06-21 10:24
お尻が燃え盛る日々です
at 2017-06-20 17:17
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧