和合一致



カテゴリ:マイプライベート( 49 )


職人人生55年



一人の美容師さんが、半世紀続けてこられた職人人生の幕を降ろされます。

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私を育ててくれた商店街の中にその美容院はあります。

オーナーはノース先生。
ご自分のお店を持って53年。修行時代を含めると55年の美容人生だったそうです。

世の中で、美容業界が注目を浴びる時代を作った先駆者であります。

ノース先生の時代は、今とは違って美容院で働きながら修行を経て、国家資格を取るというものでした。ノース先生も免許を取り独立開業し、経営をしながら今度は国家試験の審査員として借り出されていた、とおっしゃいました。



ノース先生たちが、自分の後に続く美容師を沢山社会へと出して行きました。

それでも、ノース先生はこう言われます。
「悔いはない美容人生だったけれど、唯一“跡取り”は残されへんかったなぁ。」と。

“跡取り”と言っても、実の子供が美容師にならなかったことを悔いているのではなく、ご自身の55年の人生で培った美容の技術を残せなかったことをおっしゃっているのだと思いました。



美容技術も、時代とともに必要とされなくなったものがあります。日本髪を結える美容師さんは、ほぼいらっしゃらないでしょうし、もっと身近な事で言えばパーマを当てられる美容師さんも少なくなっているそうです。

パーマをあてることにも技術は必要です、何より経験がモノを言うのがお薬の選定。修行時代に先輩の下に付きながら、液の特性や髪質による使い分けを覚えて行くのです。

実は、私も美容師免許を持っていますが、パーマの技術は専門学校の2年間だけではとても学べるものではないことを痛いほど知っています。


それでも美容師免許を持てば、開業出来る今の時代…。
いざ実践でパーマを使えなくても、コテやヘアアイロンでカバーできるので、一層パーマは必要ではなくなります。


けれど、それは「修行を積んで技術を覚える」という技術の伝承が必要なくなったと言うことです。
世に数えきれないほど美容室はあるけれど、パーマひとつとっても技術が廃れていっている美容界の現実。


だから、ノース先生のように素晴らしい技術を持っている方ほど、その技術を残せず廃れていく姿を見るのは、「何か使命を果たしきれなかったんじゃないか」と、悔いが残るのかも知れません。


職人人生55年。


「仕舞い支度の方がエネルギーが居るなぁ…、始める方がずっと楽。大変でも未来があるから。今はエネルギー使っても何も生み出さんもんなー。」

と、最後の日が近づく中、何十年と通ってくれているお客さんたちに「長いこと有り難うございました。」と言って泣かれる、とおっしゃいました。



職人として歩み半世紀。
ずっと先を歩いておられる先輩でした。

私はこの職人人生を終えるとき、どんな顔をしているのだろう…。
まだ片足つっこんだだけの10年の私に、

「なーにを仕舞いのこと考えてんの!まだまだこれからやろ。」

と、“かっかっかっ”と笑う姿は、凛として本当に格好よかったです。





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池田参尽
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by wago-ichi | 2017-04-18 10:51 | マイプライベート | Comments(0)

家族と食卓


大好きなお兄ちゃんが帰ってくる!



お気付きの方も多いかと思いますが私、ブラコンです。

兄とは、今年で兄妹として過ごしていた年数より、兄が家を出てから離れて暮らす年数の方が長くなります。
それでも帰ってきたら「ただいま。」とわが家に入る兄が大好きです。


兄は奥さんを迎え、自分の家庭を持ち、可愛くて仕方ない甥っ子たちに出会わせてくれました。


そして、池田の姓は継がれました。
子どもたちの誕生は、私たちの父が人生で「悔いがない」と言えた大きな出来事でした。


甥っ子たちが少しずつ大きくなり、色んな事に分別がつく頃、「まいちゃんて格好いいな。」と言われる人間に、私はなっているだろうか。。。

そんな風に感じてくれるように、自分の背中を見せたかったとは、自分でも近ごろ 初めて知りました。




そんな今日は久しぶりに、帰ってきた兄と家族水入らず。

いつもは「何作ろ~」と悩む母も、久しぶりに息子に食べさせる献立にあれこれ準備していました。

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「熱いうちに…」と出来立てを食べさせたがった母は、子供の頃はいつも食卓に座らず忙しく動いていました。


 
そして父は居ないけれど、父の席はみんなが見える真ん中で、今も健在です。


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いつもよりちょっと豪勢な食事。
いつもより、お酒も増えて…



家族との食卓を堪能しました。





池田参尽
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by wago-ichi | 2017-04-16 17:48 | マイプライベート | Comments(0)

人生で出会った名医


生きていく中で"感性"というものはあらゆるところで養われることと思います。


今日は、今の私に大きく影響を下さった一人の方のお話をしたいと思います。
少し長くなりますが、お付き合いくださいましたら幸いです。

それはある「名医」さんとの出会い。この先生に心底感謝しています。

その人は、私の育った商店街を抜けたところにある「匡行医院」という診療所にいらっしゃいました。
いわゆる町医者と言われる病院の先生です。

まだまだ小さかった私が熱を出し、母が匡行先生のところを訪ね診てもらったところ、聴診器を当てて「この子心臓に雑音があるね。綺麗な雑音だけれど。」と言い当てたことをきっかけに、母は先生を信用し、私や兄に何かあればここにお世話になるようになりました。

窓口には薬剤師兼受付をされる母ぐらいの歳の優しい女性が座っていて、木箱を引いて薬を調合し、紙に包んで渡してくれる姿を見ているのが大好きでした。

子供だった私は、その姿を見たいのと、薬を飲むことが何か特別なことをしてもらっているようで、薬を処方されたがったのですが、「これぐらいやったら、寝てたら治る。」と無駄に薬を出すことをしない先生でした。


私が中学生の時に、昼ぐらいからおなかの中にガスが溜まりはじめ、放課後には痛くて痛くてしゃがみ込むほどになり、匡行先生のところを訪れました。

先生はいつもまず状態を聞き、聴診器を当て、舌・喉の確認をし、そこから痛みを訴える部分を触って触診します。

この日も、「おなかが痛い」という私に、ベットに横にならせておなかを数か所押さえてどこが痛いか確認し、そして「盲腸やね。」と言いました。

私が中学生の頃、『盲腸=切って取る』ということが多く、周りで「手術をした」と聞くことも度々あったので、私はおなかを切らないといけないんじゃないか‥と恐さでいっぱいでした。
すると、匡行先生は「今晩はお薬で様子を見てみましょう。上手く薬で散らせたらいいんだけどね。」とご判断下さり、私はドキドキしてその夜を過ごしましたが、翌日にはおなかの痛みも引き無事に薬で散らすことができました。

手術をしないで済んだこの時の出来事を、私は本当に感謝し、そして匡行先生の事をとても信頼するようになりました。

まず話を聞き、胸と背中に聴診器を当て、「痛い」という部分を触れて確認する。
今の世の中では珍しくなったと聞く「触診」を徹底される先生であった事が、後の私の体との向き合い方に影響しているんじゃないかと思うことがあります。

今、私はこうして整体という仕事をしていますが、子供の頃に"風邪を引いた"、"頭が痛い"など、何かある度に薬を服用することが当たり前だったら‥。
「お薬飲まずに症状を出し切りましょう。しんどいけれど乗り越えられたら、その分体が強くなりますよ。」という事をおなかを触っている皆さんに、自信を持っては言えなかったと思います。


私が一度家を出て、大阪を離れていた20歳の時に「匡行医院」は閉められました。恐らく、その当時で年齢は80歳近くになられていたと思います。

匡行医院があった場所は今ではスーパーの駐車場になっています。


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わごいちへ通院されている多くの方が、

「薬を飲み始めると、その副作用を抑えるのにまた別の薬を飲まないといけなくなり、どんどん薬が増えてどうしていいか分かりませんでした。」
「お薬を止めれるなんて信じられませんでした。けれど止めれてよかった、飲まなくなって本当に楽になりました。」

と、おっしゃいます。


お薬の全てを否定するつもりはありません。どうしてもお薬を選択することが必要なこともあると思います。
けれど、自分自身の治癒力を信じてお薬に頼ることなく改善されるならば、それが何よりなのではないかと思います。

そう思える感性を養ってくれたのは、匡行先生のお陰だと思うから、人生でこの「名医」の先生と出会えたことに、私は心底感謝しています。

本当に無駄なく要点を抑え、的確に、患者と向き合う先生でした。
だから一見近寄りがたく怖かったけれど、実はユーモアもお持ちでクスッとなる笑いをくれました。

万年筆にインクを付けて、ササッとドイツ語で書かれるカルテも、机の上に山積みにされている色んな本も、懐かしい記憶となって思い出されます。

今、匡行先生がまだ元気でいらっしゃるのか、どうされているのかは解りません。知る由もありません。

けれど、時々こうして思い出し無性にお会いしたくなることがあります。
会ってお礼を言う事は、叶わないけれど‥




本当にありがとうございます。










池田参尽
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by wago-ichi | 2017-04-13 10:44 | マイプライベート | Comments(0)

大木が紡いだ時間


先日いただいたお休みの日に、師匠の古里に帰る旅に紙鳶さんと2人一緒に付いていくことに。

大阪の下町の商店街で育った私にとっては、自然が間近にある生活と言うのは、非常に憧れがあり、そして想像のつかないものだったのですが、降りた駅は京都駅から電車で20分の距離とは思えないほどの場所でした。


駅を降り立つと360度の大自然。見下ろす川には船が一隻。

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師匠はいつも見る顔とは少し違い、遠く見ると変わらない景色に、また近くで見ると全く違う景色となっている様子を、宝物を探す少年のような目でキョロキョロ見回されていました。


腹ごしらえを駅からすぐの橋の上で済ませ、「さぁ、ここから歩くぞー!!」と、みっちり2時間半のハイキングコースを進みます。


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それは美味しいお酒が出来る訳だ!と納得せざるを得ないほどに歩く道の横を、溢れんばかりの山水が昼間の光を受けて流れています。

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なかなかに急な坂を上り切ると、すぐ向こうは崖だったり、倒木が道を塞いでいたり、「落石・土砂崩れ・斜面崩落等による事故が発生しても一切責任を負いません。」と書かれた看板がところどころに。


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ピースする私。ほんとは余裕ないけど‥

「このコースを走ったのは高校生の頃だったかなぁ。」

今回は、安全第一を考え途中から歩きやすいよう舗装されている道を行きましたが、師匠は高く伸びる杉林の中を走っていたのだと思うと命の危険を感じる場所も多く在りました。

ついてすぐは上から見下ろしていた船もだんだんと目線が近くなり、大自然の中を歩きながら川の向こうに映る高いビルや街が異質に見えました。

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「あんなビル立ってなかったのになー。」と言葉をこぼす師匠。

そして、歩き始めたときに聞いていたこのハイキングコースの最終地点となる所が近づいて来ました。


「家から走って1時間ほどでこの神社に到着するんだよ。この神社に来たら少し考え事をして、そしてまた折り返して帰っていたね。そんな学生だったな。」

と、師匠の昔話を聞きながら、境内へと入ります。



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大きな岩の前に鎮座するお社はとても趣があり、小さい規模ながら歴史の中でとても大きな存在であったろうことを感じます。


「ちょっと休憩。」と言い、師匠は静かにその境内を歩きます。
一瞬時間を切り取るように、しばらくのあいだ風がそよぎ続けました。




・・・ふと、思い出した事。

師匠が、私の住むところの氏神様である巽神社に初めて訪れた際に、面白いことが起こりました。

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本殿のすぐ隣にお稲荷さん(稲荷神社)があり赤い鳥居の並ぶ中を通り抜け、一緒に手を合わせお参りしていたのですが、隣でいつまでも合わせた手をそのままに立ち続ける師匠が居ました。

そして、ゆっくりと言いました。

「ちょっと、僕の合わせている手を放してくれないかな。」

しばらくの時間離れなかった師匠の両手の平。

「なんでかな、(合わせた手の平が)自分では離せなくて。なんだろうね、でもこの神社の芯はこのお稲荷さんなんだね。」

と、そう師匠は続けました。

私は決して、その手の類のことを信じている訳ではありませんが、不思議なことはいくらでも世の中にあると思っています。




更に、私を驚かす出来事が待っていました。


それから数年ののち何気なく一人訪れた巽神社、そしていつもの通りお稲荷さんへ。

以前に父から見せられた一冊の冊子。
私の住む町(その昔は村でありましたが)の事を祖父の代の方たちが語っているもので、私の祖父が巽神社を建てる経緯を書いていました。

「そこには大きな大きな杉の木が一本立っていて、その根元に目をやると2匹の狐の子が眠っていた。その姿を見て村のみんながこの大杉のところにお稲荷さんを祀ろうと言った。そうして巽神社が今の場所にできた。」

と、そのようなことが書かれていたのですが、私は子供の頃から何度と訪れたけれど巽神社には大杉の木などはどこにも無い、と思ったのです。

一体どの場所なんだろうと思いながらいつもは正面からだけ見ていたお稲荷さんのお社の裏側がふと気になりました。
そして、後ろに回ったら・・・


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本当に大杉が立っていたのです。

今は生きているのでしょうか、それとも眠っているのでしょうか。
葉は生い茂っていません。けれど、幹だけになった大杉が今でもしめ縄を捲かれ、知る人は知っているのかいくらかのお賽銭が置かれ、今も神々しくその場所に立っていたのです。


こんな事ってあるんだ‥と、35年間その大杉の姿を知らなかった私は、それこそ狐につままれたような気持ちでその大杉に手を合わせました。


・・・その事を思い出す瞬間が、この日に初めて訪れた師匠の思い出の神社にあったのです。

神社の境内に入ったすぐのところに立派な大木が3本並んでいます。
その内の一本に私は遠慮がちに近づき触れさせてもらったのですが、その木肌には釘が刺されていたのです。

必要あって刺されたものなのか、いたずらに刺されたものなのか私には解らないけれど、師匠が合わせた手を離せなかった巽神社のお稲荷さんの大杉にも同じような場所に同じような釘が刺されていたのです。

あの時、手を合わせる師匠を前に巽神社はこの神社と空間を繋げたんじゃないか・・・そんなことを考えました。

あの時、師匠は学生の頃に何度と訪れたこの神社へ向かっていたんじゃないか。。。


境内に立つ大木が、打たれた釘をそのまま過去として飲み込み、動じずに今も力強く在る姿に師匠を重ねます。

幼少のころ、師匠がお父様と一緒にAコース、Bコース、そして恐ろしいウルトラコース(←照千一隅への道のり「屠殺場のウルトラコース」をご参照下さい。)を、よっぽどの土砂降りの雨でない限り毎日走っていた。骨折をした一時期以外は一日もごまかさずに走り続けていた日々は"年輪"となり今の師匠の迫力に現れているのだと思います。


少し前に師匠から「嘘を付き、ごまかし続けたことも、誰が見ていなくても"年輪"として君の中に刻まれる。それが今の自分の劣等感となるか自信となるか、そのまんま自分に現れるんだよ。」と言われた事があります。


師匠の古里を訪れ、足跡を追い歩き続けた3時間強。
私たちはその山道を歩くだけでも、太ももが張り、膝が笑い、足裏が痛くなり、駅の階段一段飛ばしを何とかやり切る状態でした。



今の師匠が、"師匠"という存在となる時間を、積み上げられた原点を、見せていただいたと思います。
この日ご一緒させてもらったことを本当に有難く思います。


改めて、有難うございました。


今を過ごす毎日毎日が年輪となり、自分の軸を作っていく。


「過去は今の積み重ねで、振り返らなくていい、掘り起こさなくていい、大事なのはいつだ??」


これは、いつか師匠に言われた言葉です。





池田参尽
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by wago-ichi | 2017-04-08 10:30 | マイプライベート | Comments(0)

おめでとう!!


4月4日、暖かい春の日。


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明日は、私の大好きな甥っ子の誕生日です。

私の兄には2人の息子が居ます。

この子たちが居たから、私は子供嫌いではなくなりました。
ええ、もともとは子供が苦手だったんです。

商店街育ちの私は、子どもの頃から「小さい子」とおじいちゃんおばあちゃんからから扱われていたし、お姉ちゃんお兄ちゃんに遊んでもらうことはあっても、自分が小さい子供の世話をすることは本当に無かったなー・・・

だから子供たちの楽しい時はハラの底から笑う、嬉しい時はハラから喜ぶ、自分のハラの中を隠さずに、どんなときでも本気で怯えずに向き合ってくる…その子どもたちにどう返したら良いのかわからないから、気付くと私は「子供が嫌い」と言って敬遠するようになっていました。

そもそも結婚願望は無かったですもの…、そんな私が彼に出会って価値観が変わりました。
赤ちゃん、そして子供という存在を私にとって身近にしてくれた彼に私はとても感謝しています。

…と言いますのも、そもそもの私の人生は「生」よりも「死」に多く出会うところから始まりました。

私が生まれたとき、一緒に住んでいた祖母は膵臓癌の末期で数か月後に亡くなりました。そして、その夫である祖父が亡くなり、母側の祖母、祖父が亡くなりました。その後も叔母が亡くなり、叔父が亡くなり…と。

親戚の中でも私が一番年下であったので、「生まれた!!」と新しい命に立ち会うことは無く、お葬式に出席する回数の方が多かった。


祖母の死はさすがに記憶に無く、一番古い死の記憶は祖父でした。
偶然にも、甥っ子と同じ小学校3年生の夏に私の祖父が亡くなったとき、人生で初めて「人が死ぬ」こと…まだ理解できていない「死」に触れ、皆が悲しんでいるあの空気を肌で感じ、訳が解るような解らないような…でも、涙が流れてきたことを覚えています。

そして身近になってしまった「死」を思い、夜中の暗闇に答えの出ない「死」というものの存在に飲み込まれそうで恐怖を感じました。



2年前の父が亡くなった日、家に着いた甥っ子は「じいちゃんまだ寝てるって?起きたら何して遊ぼうかなー♪」と扉を開け、魂が抜けて空っぽになった父の体を見て、「じいちゃんじゃない。」と一言ぽつりと言いました。

甥っ子たちはお葬儀屋さんと一緒に、"じいちゃん"に白い着物を着せ、5円玉が6枚入った袋を首にかけ、棺に納める死に準備をさせてもらい、その一つ一つの行いに一生懸命向き合い「死」というものを確認していく様でした。

父はそうして、自分の繋いだ命のこれからを生きていく子供たちに「死」というものを教える、という最後の役目をきっちりと終えてあの世にいきました。




この春、5年生になる甥っ子は、この間のお彼岸にお墓参りに行ったとき「じいちゃんが生きてたらなー…」と言葉をこぼして私の手を握り、再び出会うことのないこの世とあの世の別れというものを理解し、受け入れているようでした。

そんな彼に、私は父を感じることがあります。
今はこの世に居ない父の存在を強く感じています。



私は、まだ自分の生きる道を掴んではいません。
けれど今日も朝を迎え、こうして呼吸が出来て、大切で大好きな人たちに会って、今こうして居られること‥確かに生きている。
当たり前では決してない、決してない。




ちゃんと生きよう。
必死に今を生きている子供たちに教えてもらおう。
怯えず焦らずハラを決めて、その自分のハラに自信を持って進めるように、今目の前のことに一生懸命取り組もう。



11歳のお誕生日おめでとう!!
元気で居てくれて本当にありがとう。


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池田参尽
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by wago-ichi | 2017-04-03 10:30 | マイプライベート | Comments(0)

休日の朝に



コーヒーが好きです。


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休日の朝はコーヒーを淹れて家のテラスで母と飲むのが好きな時間。

もともとコーヒーのブラックは飲めませんでした。
喫茶店の雰囲気が好きでよく行きましたが、いつもカフェオレを注文していました。
しかも家ではインスタントコーヒーにお砂糖たっぷり、牛乳をたっぷりのカフェオレ。

半ば無理矢理ブラックに変えたようなものです。

きっかけは胃拡張の改善の為。

「お砂糖も牛乳も入れないドリップコーヒーならまだ飲んでも良い。百歩譲って。」と師匠に言われ、薄めのブラックコーヒーを飲むようにしていたら、当たり前のように濃いネルドリップのコーヒーでも本当に美味しくいただけるようになりました。

今思うと、胃炎が治っていくほどしっかりした味のコーヒーが好きになっていたように思います。

ブラックのコーヒーが美味しいと飲めるようになるとお店のこだわりが見えてくるようになりました。
コーヒーを淹れる姿が見える喫茶店を好んで行くようになり、ドリップの仕方や使っている器具、膨らむ豆の感じなど興味は広がり‥

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気付くとわごいちでコーヒーを淹れる役目は私になっていました。そして飲む人に喜ばれ、今ではコーヒーは私の大好きなものになりました。


そんな昨日の仕事上がり、いつものようにコーヒーを飲みんでいるとき、

「そうそう、たかまささんがとても良いことをおっしゃっていたよ。」と師匠。

ここ最近たかまささんといろんな話をするようになったと師匠は言い、初めての印象とは随分変わり、発見することが多くあると私たち弟子にその話を聞かせてくれます。

たかまささんは仕事の関係で、これまで苦手だとしていた経理をすることになったそう。

数字が苦手であったたかまささんは「えー!どうしよう!!」と思うが先か、その時思ったそうです。参尽良く聞いておきや、と前置きをし師匠はこう続けました。

「苦手なのは深く知らないからだって。苦手と敬遠して来たから知らないだけだから、この経理をやることで深く数字の事を知ろうと思ったって。40歳過ぎてもそのガッツはすごいよね。」

それを聞いて我が身を振り返り、これまで"苦手"としてきたことを思い浮かべました。

たかまささんのおっしゃる通り、私は苦手な世界を深く知りません。深く知らないのは面倒くさいから、だから"苦手"と言って逃げて来たんだと思いました。


文章を書くことはずーっと苦手でした。
でも人に伝えたいことは、人に聞いて欲しいことは自分の思いの中にたくさんありました。

この間の年末の大掃除のとき、自分の古い日記が出て来て伝えたいことは溢れているけれど、読む人のことを全く考えていない。(笑)


いえ、笑い事ではなく日記から抜け出せないまま、このブログを書き始めました。

…そうなんです。

私は今こうして、ブログを通して人に何かを伝えることを勉強しているのだと思います。

書きたいことを書くだけは、そのまま言いたいことだけ言うことと同じです。

ほぼ、毎日記事を書いて2年。
何度も何度も師匠から注意を受け、やっと読む人のことを考えるという感覚に気付きました。


ようやく。ようやく。






苦手だったコーヒーはいつしか大好物になりました。
苦手だった文章は少しづつ好きになりつつあります。

まだまだ苦手と言ってしまうことが多い私に、好きを増やす努力ができたら。


「だって好きなんだもん。好きでしょうがないから。」

と、言えるほど好きなものに囲まれる人生になるのでしょう…


歴史、数字、書道のペン、日本語、嘘、丹足・・・


まだまだ苦手の多い私の世界です。


「苦手なのは深く知らないから。」


この春は好きなことを増やそうと思います。
興味を外に向けて、知ろうとして、行動に移そう、面倒くさがらずに。








池田参尽
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by wago-ichi | 2017-03-20 10:54 | マイプライベート | Comments(0)

お雛様の前で



子供の頃に毎年、梅が開き出す頃に、

「今日お雛さん出そうかぁー。」


という父の声で、祖母が私へと買ってくれたお雛様を出していました。

祖母は私がまだ母のおなかの中にいるときに膵臓癌で寝込み、末期だった膵臓癌に当時はもう打つ手立てが無く、私が産まれて間もなく亡くなったそうです。

自宅で寝たきりになっていた祖母は女の子が産まれたと聞き、「お雛さん買うたって」と祖父と二人で立派な七段の雛飾りを買ってくれました。


これを出すのが楽しみで楽しみで…。

お雛様その物よりも、父を筆頭に母と兄と家族皆で“あかりをつけましょぼんぼりにー♪”と、歌いながら飾り付けをしていた団らんの時間がとても楽しかったのだと思います。

兄が家を離れ3人になってからも、私が家を出ていた頃も、この季節になると必ず飾ってくれていたお雛様。


出すとついつい長く見ていたくて片付けるのが3日を過ぎていたから、きっと行き遅れているんだわ…。(負け惜しみの言い訳!!)

お雛様、未だお嫁に行かずすいません。




父が亡くなり、いつも「出そうかぁ」と号令をかけてくれる人は居ないから、さすがにもう出さないだろうと思っていたのですが…なんと今年、母一人で出してくれていました。


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思いがけないことで…



とても嬉しかったです。

母も父との思い出と一緒に、今年もお雛様を飾ってくれていたようです。

私にとっては、おばあちゃんと繋がれている唯一の思い出のお雛様。


そして、そのお雛様を見ているとお雛様の前で皆で食べた雛あられや、お人形の扱いに注意を受けたり、私の名前の由来や…、色々なことが思い出されました。


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(母と2人で雛祭り♪うちは毎年、ちらし寿司ではなく手巻き寿司でした。)


私は男だったら“龍之進(りゅうのしん)”と名付けられていたそうです。

けれど、女として産まれて来た私に父は「真由美」と名付けてくれました。

私はこの名前がとても大好きです。

「阪神が優勝した年やって真弓選手がええ活躍しとってん。」

と言っていた父。
本当の意味はなんだったのかな。。。

名に持つ意味。名に宿る霊。




今、私には2つの名前が有ります。
「参尽」と「真由美」と。

どちらも、まだその名前に宿る本当の意味を私は見つけられていないのだと思います。

「真由美」は“真っ直ぐ自由に美しく生きなさい!”だと思っていたのですが、わごいちに来てから“真の美しさを由(知る)”だと言ってくれた人が居ます。

そうなると、随分違った意味になりますもの…。

「参尽」と言う名前の意味も、“参度振り返り確認し、一生懸命に尽くす”と思っていますが、尽くす先が人へなのか仕事へなのか生きること自体なのか、はたまたその全てなのか…

それだけでも様々な意味を持ち、真髄はまだまだ解りません。



だけど、どちらも私であることは変わりないからその意味を繰返し繰返し考え続けようと思います。


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“名の前で、恥じない生き方をしているか??”

どこかから、そんな声が聞こえてくる気がする雛祭りでした。







池田参尽
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by wago-ichi | 2017-03-04 10:08 | マイプライベート | Comments(0)

春が来る!!



青空のしだれ梅を見上げました。

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そして、こう思います。


「ああ、春がやって来る。」


私たちは、気温が低くても風の冷たさを感じていても、ちゃんと春の足音が近づいていることが解っています。

それは、こうして花ばなが巡る季節とともに移り変わって行くから。


では、花たちはどうして?

なぜ、わかるの?

と、毎年思う。



どうして寒く冷たい冬の中じっくりじっくり蕾を膨らませることができるんだろう。

冬に、まるで枯れたように見えるその姿をして、外に向く力を内へ内へと集中させる。


“ドクドク ドクドク”


根っこでまず感じるんだろうか、土が温かくなり出すことを。そうして緩む、もう春が来る…て。


きっと、全身で感じているんだろう。

風の冷たさを、土の温もりを。
水の…虫の…鳥の…。

寒い冬も眠っているんじゃない、決して。常に一瞬一瞬の毎日の中で少しずつ訪れてくる春のサインを、全身の感覚を研ぎ澄ませて、感じたまま自分を信じほわっと緩んで。


そこに、冬よりもずっと力を放つ太陽の光りを吸い込み、、、

“ゴクンゴクン ゴクンゴクン”


内へ向け生み出していたエネルギーを外へ放つ!


素直に感じたまま、受け入れ、自らの力に変えて生み出す。


それを、ただ毎年毎年繰り返す。


間違わない。芯があるから。




咲き誇れ!



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by wago-ichi | 2017-03-02 10:05 | マイプライベート

母のコート



母のコート。


父が、冬になると私に必ず着させたがった思い出のコートです。


20代の頃から、この季節がやってくると、いつも「あの緑のやつ着やんか?」と言ってくるのですが、

入らないんです。


母は華奢(きゃしゃ)な体型で、コートのサイズは7号。


逆に20代の頃、私は胃拡張でパツンパツン。
袖を通すと肩の辺りで縫製が裂けそうだし、何より前ボタンが閉まりません。

母いわく、「今より細い作りになってると思うよ。」と。いや、そんな問題じゃない…

「胸が邪魔で」じゃないんですよー。「おなかが邪魔して」なんですー。


身長148.5センチ、体重は世間で言うところの標準体重内ではありましたが、何せ胃拡張で胃はガスでパツンパツンでしたから、不思議の国のアリスの卵の紳士・ハンプティダンプティです。まさに。


それが、まさか袖を通しても安心できる日がくるなんて。
前のボタンが閉まるようになるなんて・・・


私は26歳にして初めてくびれができました。

無茶なダイエットをした訳でも、高いお金を払ってエステに通った訳でもありません。

おなかを大事にするとはどういうことか、おなかを大事にするにはどうしたらいいか、それをわごいちで知り、出来ることから一つ一つ向き合って来ただけです。


右往左往しながら、時にちぐはぐなこともやっちゃったりしながら。


そして、これからも続けていくだけです。
おなかと向き合うてどういうことだ?この行いは本当におなかを大事にしているの?おなかを大事にするてどういうことだ?と。

最近は一層解らなくなったり…、そんな自分に疑問を持ち続けながら。



けれど、35歳になったこの冬、ようやくしっくり体に馴染むようになりました。



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何度も振り出しに戻りながら、私はまたなぜ同じところに戻るのか、その訳を探し続けたいと思う。


おなかと共にある人生が、このコートのようにしっくりと馴染む日が来ると信じて。









池田参尽
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by wago-ichi | 2017-02-26 10:08 | マイプライベート | Comments(0)

いけないこと…!しちゃいました。


先日、定休日に師匠のお宅へ。


お師匠とともに一緒に時間を過ごし、ご家族の生活に溶け込む。

女将さんの作るご飯を一緒にいただいて、後片付けをする。

お嬢さんの登校の朝を見送って(お寝坊参尽はほぼ立ち合えませんが…すいません。)、珈琲を淹れる。


師匠と弟子。今の時代にはあまり無い形ではあります。




今の世ではちょっと特別に見られる過ごし方で、お昼一緒にいただいてしばらくして、師匠が聞きます。


「コロッケ食べたら良いやん、ビールと一緒に。」


えっ!(心踊るのを必死に隠し)

いえいえいえいえ!大丈夫です。(食べたいのバレてるバレてる)

さっきお昼食べたところだし、私一人…(といいながらもう大好物のコロッケで頭がいっぱい※おなかもいっぱい)


大好物なコロッケだけれど、ほっくりサクサクの訳はたっぷりの油で揚げているから。
油は胃が苦手なものです。そこに更にビールをチョイスとなると、これまた胃をいじめる炭酸です。


胃には大打撃なのです。。。


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「こんなときぐらいですから、いただかれたら?」と紙鳶さん。



おっとっと…、こうしなきゃ!ああしなきゃ!の私の固い頭をほっと一息入れましょう。


「~ではないといけない」という思考から、自分を改める事が悪い訳ではないのです。ただ、私の場合そうしようと理想を高く持ちすぎて、自分で自分の首を絞めてしまうのです。


ガッチガチで首を絞めそうになったら、誰かがちゃんとゆるめてくれる。


それは、決して甘やかす手立てではなくて、

“しっかりせんかい”

の、叱咤な訳です…と、私は解釈しています。


そうして自分を見つめ直し、気を絞め直す。絞めるのが首だと苦しくなるだけなのです。それは、また外から見えている人にも辛いこと。ヤキモキすること。


誘惑に負けた??


たまにわね…といけないことをしちゃっても良いんじゃない、と許せるくらいに日々を努めればいい。



・・本当のところは??なぜ師匠が今日に限ってそうおっしゃったのか、またなぜ紙鳶さんがそう言ったのか‥??



それは解りません。
ちょっぴり罪悪感を持ちながら、でも私は美味しく、そして楽しくいただきました。







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by wago-ichi | 2017-02-24 10:14 | マイプライベート | Comments(0)


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