本の力
2016年 07月 07日
本。
本。
以前にも書いた本のお話。
師匠から教えていただいた本の数々…その中には師匠の思い入れが強く、「これ、読んでごらん。」と、いただいた本もたくさんあります。
その中の一つにこの本があります。
『ヨーガに生きる』
師匠がこの本に出会ったのは7年前ですが、その当時に「君が読むのはまだ早いと思う。今、読んでしまうともったいない。」
と、言われたことを覚えています。
師匠がこの本によって考え深めていたのは感じていたので、早く読みたい気持ちと、読めるようになるのはいつどんなときだろう・・という気持ちでドキドキしました。
実際に読むのはその4年後、
「あげるわ、読んでごらん。」
と、この本をいただく時がきます。
旅の途中に運命的にヨーガ哲学の大聖者と居合わせた日本人がヨーガの里で、修行を積み人生を変えていくというストーリーなのですが‥
これが、本当にあったお話なんです。
数十年前、明治の頃に現実にこの世に起こった話。
この主人公中村三郎(後の中村天風)は、若くして結核を患い、西洋医学を頼りにフランスへ渡るのですが、そこでも医学の力ではもう手に負えないと言われ、死ぬのならせめて日本に帰って死にたいと人生に絶望しながら帰路へと向かう途中、エジプトのホテルのレストランでこのカリアッパ師と出会います。
「死なずにすむ方法を私が教えてあげようではないか。私と一緒についてこないかね。」
と、いうカリアッパ師の言葉に希望を持ち、中村三郎はインドのヨーガの里へと修行に入り、明治の頃には不治の病と言われた結核を見事に治し、日本に帰った後名を中村天風と改め、八十歳近くまで生きられます。
カリアッパ師から修行を通して教えの一つ一つを自分自身に落とし込んでいく中に、大いなる苦難、心の葛藤がリアルに書かれています。
さて、再び現代の私へと話は戻ります。
私は子どもの頃に左の膝の靭帯を痛め、その後二十歳のときに交通事故に遇い同じく左足の足首の内側を怪我しました。
傷口はすぐ塞がりましたが、中で壊死を起こした組織を再び取り除くときに神経に傷がつき、膝と連動する部分に感覚を感じなくなりました。
傷口はすぐ塞がりましたが、中で壊死を起こした組織を再び取り除くときに神経に傷がつき、膝と連動する部分に感覚を感じなくなりました。
痛みと感覚のわからなさに思うように膝が使えずやきもきし、なげやりになる私に師匠から、
「どうしたらいいか言ってあげようか。膝のこと忘れたらいいんだよ。」
と、言われ頭のてっぺんに稲妻が落ちました。
そうなんです。
私は、この膝のことばっかり考えていたんです。
「なんで?思うように動かないの。何で動かすたびにギシギシいうの。何で曲げる度にズキズキ痛いの。なんで?」
そのうち、自分が思うように動けないことを膝のせいにして、
「この膝さえ痛く無くなれば、思うように動けるのに‥!!!」
と。
・・・・そうでは無いんです。
膝にばっかり意識が行くから痛いんです。
膝のことを忘れるくらい必死に夢中に丹足していないから、痛いんです。そして、その痛みに気を取られて気はそぞろになり、集中していない動きの悪い、何より想いの乗らない丹足になるんです。
さぁ!ここからは、私の仕事。
私の根性が試されています。体は思い次第でどうにでもなります。
再びこの膝を復活させるかどうか。
私が、もう一度この膝を使いたいと思うかどうか。また一から積み上げると覚悟を決めてスタートに立ちたいかどうか。
答えは、もう出ています。
その取り組みをはじめ、今も続けています。
私の体は膝だけじゃない。
ギシギシという膝を今日もちゃんと動いていると信じ、その膝も存分に使えるように私の体のあらゆる筋肉が、骨が、血管が、力をみなぎらせて全身で生きようと動いています。
私は生きている!!!!
この喜びを忘れ、自分を振り返ることを怠ったとき、さぼったとき、私はまた再び『ヨーガに生きる』を手に取るのだと思います。
著者は『ヨーガに生きる』と同じおおいみつるさん。
今、これからどんな出合いがあるのか…渡されたこの本にある意味は、
開いてからのお楽しみ…
池田参尽
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by wago-ichi
| 2016-07-07 10:29
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